吉も勘次も我になく首を竦《すく》めた。
「――――」
藤吉は手を伸ばした。が、取り上げたのは紙の方だった。素早く眼を通して、
「彦、どこで拾った、この呪文《じゅもん》を?」
「小舟町二丁目と瀬戸物町の曲りっ角で、へえ。」
「その頬っぺたは?」
「へ! すりゃあ、やっぱりこりゃ頬っぺた――。」
「はあて彦としたことが、一眼見りゃあわからあな、そりゃあお前、女子の左頬だ。髪の付根と言い死肌の色と言い、待ちな、耳朶の形と言い、こうっと、ま、三十にゃあ大分|釣銭《つり》もこようって寸法かな――どこで押せえた、犬ころをよ?」
「へえ庄助屋敷の前で。」
「なに?」藤吉は乗り出した。「庄助屋敷の前?」
「へえ。」
「彦、あそこにゃあお前、お笑え草の高札が――。」
「へえ、その高札の下なんで。」
「彦。」藤吉の声は鋭かった。
「いつぞやお前が話した申上候一札の文言、あれに違えあるめえのう?」
彦兵衛は子供のように頷首《うなず》いたが、ふ[#「ふ」に傍点]と思い出したように早口に、
「その高札の一件ですが、四日前にも娘っこ[#「っこ」に傍点]が二人、昨日も一人赤児がふっ[#「ふっ」に傍点]と消えて失くなったとのこと。」
「またか。」
と藤吉は眉根を寄せる。両腕を組んで考え込む。重おもしい沈黙《しじま》があたりを罩《こ》めた。
「彦、お前、その頬っぺたを洗っちゃ来めえのう?」
藪から棒に藤吉が訊いた。
「洗った跡でもごぜえますかえ?」
「なにさ、ねえこともねえのさ――してどこから銜《くえ》え出たもんだろうのう?」
「犬でげすけえ?」
「うん。」
「どこから銜えて来たもんかそいつ[#「そいつ」に傍点]あ闇雲わからねえが、発見《めっけ》た野郎の口っ振りじゃあなんでも小舟町――。」
「小舟町?」
「へえ。」
「この御呪文も小舟町――。」と言いかけた藤吉の言葉に、他の四つの眼もぎらり[#「ぎらり」に傍点]と光る。彦兵衛は片身をぐっ[#「ぐっ」に傍点]と前へのめらして下から藤吉を見上げながら、
「親分、この二つになんぞ聯結《つながり》でも、いやさ、あると言うんでごぜえますかえ?」
眼を瞑ったまま藤吉は答えない。団扇を持つ勘次の手もいつしか肘張って動かなかった。
小舟町三丁目、俗に言う照降町の磯屋の新造でおりんという二十五になる女が二月ほど前に行方|不知《しれず》になった。それからこっち後を引いてか、当歳から若年増、それも揃いも揃って女ばかりがすでに七人もこの神隠しの犠牲《にえ》に上ったのであった。
近ごろの新身《あらみ》御供は四日前に二人。安針町の大工の出戻娘お滝と本船町三寸師の娘お久美。お滝は伝通院傍へ用達しに行った帰途を伝馬町で見かけた知人があるというきり、お久美坊は酒買いに出たまんまとんと行方が知れない。お滝は二十五、お久美は十三だった。
昨日浚われた嬰児《あかご》はお鈴と言って、土用の入りに生れたばかり、子守をつけて伊勢町河岸の材木場へ遊びに出しておいたのが、物の小半時もして子守独りがぼんやり帰って来たから不審に思って訊き質すと、ちょっと赤児を積材の上へ寝かし河岸で小用を足して帰って見るともうなかったというのでただちに大騒ぎして捜したが元よりそこらに転がっていべき道理もない。
これらの話を安針町裏店の井戸端で聞き込んで来たと彦兵衛が言った時、藤吉は、
「井戸?」
と何か気になるような様子だったが、
「二十五に二十五に十三に一つ――か。」としばらく考え込んで、「女の頬にこの呪文――お、そりゃあそうと、あの高札のこったがの、あんなべら[#「べら」に傍点]棒な物を立てやがった張本人はいったいどこのどなた様だか、彦、御苦労だがお前ちょっと嗅《け》いで来てくんろ。」
「へえ。だがなんでも町年寄だと――。」
「おおさ、その年寄に俺あちっとべえ知りてえことがあるんだ。」
彦兵衛は腰を浮かせた。
「勘。」と藤吉は振向きもせずに「われも行け。」
「ようがす。」
と、
「惑信《わくしん》!」
呻くように藤吉が言った。
「え?」
二人は振り返る。またしても、
「惑信!」
「何とかおっしぇえましたかえ?」
「うんにゃ、よくあるやつよ。こりゃあどうも惑信沙汰に違えねえて。」と半ば独言のように藤吉は憮然として、「今日は酉《とり》だのう?」
「へえ――山の神には海の神、おおそれありや。へんかたじけねえや、だ。」
「それだってことよ彦! あの界隈に巫女《いちこ》あいねえか。」
「いちこ[#「いちこ」に傍点]?」
「口寄《くちよせ》よ。」
「知りやせん。」
「物あついでだ、当って来べえぞ。」
「へえ、せいぜい小突いて参りやしょう。」
「うん、日暮前にゃ俺らも面《つら》あ出すから、眼鼻がついても帰ってくるな――勘、われもちったあ身入れろい、なんだ、大飯ばかり喰《くれ》えやがって。」
三
「二十五に二十五に十三に一つ――当歳から若年増。」
藤吉は庭へ唾を吐いた。畳に転がっている女の頬を見たからである。
摘み上げて嗅いでみたが、臭気《におい》もしない。額半分から左頬へかけての皮膚、ふっくら[#「ふっくら」に傍点]した耳、頭髪と小鬢がもうしわけほど付いているその裏には肉少しと凝《こ》り血がぶら[#「ぶら」に傍点]下っているだけで、古い新しいの見当も立たなければ何でどうして切ったものか、それさえからきしわからない。洗ったように綺麗で、砂一つついていない。古い物なら腐ってもいようし、色も少しは変っていよう。新《あら》なら新でまたその徴《しるし》があるはず。とにかく、犬奴が土中から掘り出したものではあるまい、とすれば――?
藤吉は寒毛を感じた。衣桁《えこう》から単衣《ひとえ》を外して三尺を伊達に結ぶと、名ばかりの仏壇へ頬片を供えて火打ちを切ってお燈明を上げた。折れた線香からも結構煙は昇る。
藤吉は茶の間へ坐った。
「閻魔法王五道冥官、天の神地の神、家の内では――。」
と膝の上の巫女《みこ》の文をここまで読み下して、藤吉は鼻を擦《こす》った。畳のけばをむしった。深く勘考する時の習癖《くせ》である。
惑信と言えばまず家の方位だ。その凶は暗剣殺で未申《ひつじさる》――西南――の方、これを本命《ほんめい》二黒土星で見れば未申は八白の土星に当るから坤《こん》となる。卦からいうと坤為《こんい》[#レ]地《ち》といってこの坤という字は土である。家の暗剣殺の土とは、門の西南の地面という意《こころ》であろう。坤はまた乾坤《けんこん》の坤で、陰のあらわれすなわち婦女《おんな》という義になるから、ここで門内西南の地に女ありと考えなければならない。
今日は酉年の酉の日だ。日柄は仏滅|定《さだん》。六曜星が仏滅でこれは万大《よろず》凶を示しているが、十二直の定はすべて決着《きまり》をつくるに吉とある。家を護る土公神はというと、春は竈、夏は門、秋は井《いど》、冬は庭にありというから、夏から秋口へ向うこのごろのこと、まず門と井戸とに見当《あたり》をつけておきたい。これで家に門と井戸とがあって、その門の西南に女がいるということになった。
近ごろめっきり白髪の殖えた材木屋風の髷を藤吉はしきりに捻る。
嬰児《あかご》お鈴は今年生れたのだからもちろん酉だ。お久美の十三も嘉永二年の出生で己酉《つちのととり》。磯屋のおりんとお滝は二十五年の同年で天保八年の生れだが、天保八年は――これもまた丁《ひのと》の酉!
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年齢|干支《かんし》九星|早見弁《はやみのべん》。こうだ。
お鈴――文久元年、かのとのとり[#「とり」に傍点]、四緑、木星、柘榴木《じゃくろぼく》。
お久美――嘉永二年、つちのととり[#「とり」に傍点]、五黄、土星、大駅土《だいえきど》
おりんお滝――天保八年、ひのとのとり[#「とり」に傍点]、一白、水星、山中火。
[#ここで字下げ終わり]
ひとしくとり[#「とり」に傍点]で星は土木水を表している。今いっそう詳しくこれを案じてみるに、お鈴は辛酉は総じて種子であって樹木の生々《せいせい》を意味するから四緑[#「緑」に傍点]の柘榴木[#「木」に傍点]とすべて木[#「木」に傍点]で出ている。お久美はつち[#「つち」に傍点]のとの大駅土[#「土」に傍点]とこれも星の土に合っているが、ただ、おりんお滝のみは水星にもかかわらずひ[#「ひ」に傍点]のと山中火[#「火」に傍点]と水を排して反性の火を採っている。これは穏当《おんとう》ではない。おりんお滝は恨むことを知る年齢に達していたから、星の水を藉りて満々と拡ごり恨み、また、納音《のういん》山中火の音と響いては火と化して炎々と燃え盛っているのではあるまいか。土水木各々をその納音で見れば、お久美は大駅土、大く土に駅《とど》まる。
お鈴は柘榴木、石榴の古木は、挽いて井桁《いげた》に張れば汚物は吸わず水を透ますとか。
おりんお滝は山中火、山は土の埋《うず》高き形、言い換えれば坤だ。土だ。火はすなわち烈しき心。破り毀《そこ》なう物の陽気盛んなれど、水の配あらばたちまち陰々として衰え、その状さながら恨むに似たりと。
土と木と水――土中に木があって水がある、いや、水があるところに火がある、激しい遺恨《うらみ》が残っている――土中に柘榴の材《き》が張渡って、水のあるべきところに水がないとは?――井戸、古井戸!
門から西南の土に古井戸があろう。その底に女の気がする、酉年生れの女の星が飛去り得ずして迷っている!
「家の内には井《いど》の神――おう、惑信!」夕闇のなかで藤吉は小膝を打った。「だが待てよ、あの高札が惑信の本尊じゃあねえかな。と、彼札《あれ》あ誰が建てた? それに、それに、この御呪文は女筆《おんなのて》だぞ。ううむ、恨むか、燃えるか、執念の業火だ、いや、こりゃあいかさま無理もねえて。」
日北上《ひほくじょう》の極とはいえ、涼風とともに物怪《もののけ》の立つ黄昏時、呼吸するたびに揺れでもするか、薬師縁日の風鈴が早や秋の夜風を偲ばせて、軒の端高く消ぬがにも鳴る。
置物のように藤吉は動かなかった。心の迷いか五臓の疲れか、人っ子一人いないはずの仏壇の前に当ってざざ[#「ざざ」に傍点]っと畳を擦る音がする。立ち上って覗いた藤吉、
「あっ!」
と驚いたことのない釘抜もこの時ばかりはその口から怖れと愕きの声を揚げた。無理もあるまい。線香の香の微かに漂い、燈明の燃えきった夕ぐれの部屋、仏壇前の畳に、日向の猫の欠伸《あくび》のように、山の字形に蠢《うごめ》きながら青白く光っているのは、先刻たしかに四尺は高い供壇《そなえだん》へ祭って置いたあの女の頬の肉ではないか。海月《くらげ》みたいに盛り上っては動くその耳を見ると、釘抜形に彎《まが》った藤吉の脚が、まず自ずと顫え出して、気がついた時、本八丁堀を日本橋指して藤吉は転ぶように急いでいた。
四
往昔《むかし》まだ吉原が住吉町、和泉町、高砂町、浪花町の一廓にあったころ、親父橋から荒布《あらめ》橋へかけて小舟町三丁目の通りに、晴れの日には雪駄、雨には唐傘と、すべて嫖客の便を計って陰陽の気の物をひさぐ店が櫛比《しっぴ》しているところから江戸も文久と老いてさえ、この辺は俗に照降町と呼ばれていた。
その照降町は小舟町三丁目に、端物ながらも食通を唸らせる磯屋平兵衛という蒲鉾《かまぼこ》の老舗《しにせ》があった。
明暦大火のすぐ後、浅草金竜山で、茶飯、豆腐汁、煮締、豆類などを一人前五分ずつで売り出した者があったが、これを奈良茶と言っておおいに重宝し、間もなく江戸中に広まってそのなかでも、駒形の檜物《ひもの》屋、目黒の柏屋、堺町の祇園屋などがことに有名であった。また同じく金竜山から二汁五菜の五匁料理の仕出しも出て、時の嗜好《しこう》に投じてか、ひところは流行を極めたものだったが、この奈良茶や五匁の上所《じょうどころ》へ蒲鉾を納めて名を売ったのが、伊予宇和島から出て来た初代の磯屋平兵衛であった。
当代の平兵衛は四代目で、先代に嗣子《よつぎ》がなかったとこ
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