あ言い条、とんだ係合いだのう。」
「なあに、見つけた者の御難でね、知ってるこたあ残らず申し上げてお役に立ちてえと、へえ、こうあっし[#「あっし」に傍点]ゃあ思っていますのさ。――さい[#「さい」に傍点]でげす。今の先刻坂本町の巣を出やしてね、いつものとおり味噌売りに歩くべえと、箱取りと仕入れにこの家へ来て、まっすぐに蔵へ行った折り、坂本町から横町へはいるあたりからや[#「や」に傍点]に土が柔かくて、御覧のとおり右手から蔵まであんな足形を印《つ》けやした。へえ、正しくありゃああっしの跡でごぜえます。」
「箱取りに、まっすぐに蔵へ行ったたあ何のこってすい?」
「担ぎの荷箱を蔵へ預けといて、毎朝自身で出してお店へ廻って味噌を仕入れるのが、親分の前だがあっし[#「あっし」に傍点]とここの店との約束でげしてね。」
「なるほど。して、朝お前さんがくるころにゃあ、お店じゃいつも起きてますのかえ? 七つと言やあこちとら[#「こちとら」に傍点]なんかにゃあ真夜中だが――。」
「なんの。きまって長どんを叩起《おこ》しますのさ。」味噌松は他意なく続ける。「それが親分、今朝あ騒ぎだ。なにしろあの暗え中で旦那の体にけつまずいた時にゃあ、さすがのあっし[#「あっし」に傍点]も胆を潰したね。へえ、それからすぐとお内儀を起して蔵へつれてって、小僧二人を親分とこと、こりゃあまた余計なことかもしれねえが、桜馬場へもね、へえ、走らせやしたよ。」
「駒蔵さんさえ見ればすぐ片がつくだろうて。なあ、親分。」
苦々しそうに勘次が言った。藤吉は答えなかった。地面へ顔を押しつけんばかりに不意に屈《かが》んだ藤吉は、孫右衛門の足跡を食い入るように眺めていたが、
「松さん、昨夜雨の降ったのは――。」
「よくは知らねえが四つ半ごろから八つぐれえまで、夢|現《うつ》つに雨の音を聞いたように記憶《おぼ》えていやす。」
「ふうん。」と藤吉は背を伸ばして、「してみりゃあ、八州屋さんはたしかに四つ半から八つまでの間に帰って来なすったんだ。これ、この足形を見ねえ。歯跡が雨に崩れてよ。中に水が溜ってらあな。どだいこの跡はあまり新奇なもんじゃねえ。草鞋と日和に較べて、深えばかりでだらし[#「だらし」に傍点]がねえのは、後から雨に叩かれたからよ。そう言やあ、蔵の仏もずぶ濡れだったのう。なあ、松さん。」
そこへ彦兵衛が帰って来た。
「ええ親分、この草鞋の跡は新しいもんでごぜえます。付いてから一時とは経ってはいめえ、坂本町から横町を通って蔵へ来ている――。」
「ありゃあ、彦、松さんの足形だ。」
藤吉が言った。味噌松は世辞笑いとともに、
「親分、二階へ上ってお神さんに会ってやっておくんなせえ。」
「あいよ。」と藤吉はなおもそこいらを見下しながら、「松さん、お前さんは御加役《おかやく》だ。一緒に考えて下せえよ。やい、勘、彦、手前たちも聞いておけ。――足袋屋じゃねえが、ここに足形《かた》が三種ある。一つあ死人の高足駄で左手から蔵へ、こりゃあ夜中の雨の最中に付いたもの。あとの二つはお内儀の日和と松さんの草鞋で、共に一時前に騒ぎ出した節踏んだとわかる。こちとら[#「こちとら」に傍点]と小僧のは裸足だから苦もねえが、さてはいった足形《かた》ばかりで出た跡のねえのが、のう皆の衆、ちっとべえ臭かごわせんかい。」
「雨の降る前にここへ来てまだ隠れん坊している奴でも――。」
味噌松が言いかけた。藤吉は横手を拍《う》った。
「そこだっ、松さん。お前はなかなか眼《がん》が利くのう。彦、蔵から母家から残らず塵を吹いてみろ。飛ん出たら声を揚げろ。怪我しめえぞ。」
「あっし[#「あっし」に傍点]は? 親分。」
「勘次。お前は立番だ。俺と松さんとでちょっくらお神を白眼《にら》んでくる。松さんがいりゃあ勘なんざかえって足手|纏《まと》い、そこに立ってろ。」
「へえ。」
「誰も入れるな。」
「ようがす。」
勘次は不平そうに彼方を向いた。彦兵衛は家探しに蔵へはいった。
「親分、御洗足《おすすぎ》を。ま、泥だけお落しなすって――。」
味噌松が勝手口から盥《たらい》を出した。が、
「すまねえのう。」
と言ったきり、藤吉は気が抜けたように立っていた。どこからともなく、泣くようにまた笑うように、ちろちろ[#「ちろちろ」に傍点]と水のせせらぐ音がする、藤吉は耳を傾けた。
「勘。」藤吉が大声を出した。「あの音あ何だ? 水じゃあねえか。」
「あいさ。」と勘次はすまして蔵の前を指しながら、「あれ[#「あれ」に傍点]でがしょう。」
見ると、幅四寸ほどの小溝が雨水を集めて蔵の根を流れている。藤吉はにわかに活気づいた。
「深えか。」
勘次は手を入れた。
「浅えや。二寸がものあねえ。」
「どうしてあそこにあんな物が――。」
藤吉は小首を捻る。味
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