麻だっ!」
「――じゃ、ど、どこを通って逃げたってえんだ? あ、足形が一つもねえじゃねえか!」
「溝!」
「わあっ!」
 と叫んで走り出した味噌松、折柄帰って来た彦兵衛にぶつかれば、両方がひっくりかえる。跳び上った松、彦に足を取られて、た、た、た、た、と鷺踏《さぎと》びのまま機《はず》みと居合いとで逆手に抜いた九寸五分。すかさず下から彦が払う。獲物は――と言いたいが拾って来たらしい水だらけの傘一本。
「勘!」
 藤吉が呶鳴った。
「おう。」
 と飛んで出た御家人崩れの勘弁勘次、苦もなく利腕《ききうで》取ってむんず[#「むんず」に傍点]と伏せる。味噌松は赤ん坊のような泣声を揚げた。彦兵衛は起き上って、
「親分、これ。」
 と傘を出す。
「どうだった?」と藤吉。
「へえ、ありやした。たしかにあった。あれじゃあいくら浚《され》えてもかからねえはずだて。」
「水ん中の船底にぴったり[#「ぴったり」に傍点]貼りついてたろう、どうだ?」
「仰せのとおり。」
 葬式彦兵衛は二つ三つ続けさまに眼瞬《まばた》きをした。
 烏の群から怪しいと見た藤吉が、鎧の渡しへ彦兵衛をやって一番多く烏の下りている小舟の下を突かせると、果して締殺された女隠居の屍体が水腫《むく》み返って浮んで来た。舟底には奇妙な引力があって幅のある物ならしばらく吸いつけておくこと、並びにその舟が久しく使われていないこと、まずこれらへ着眼したのが藤吉の器量と冥利《みょうり》とであった。
 屍骸は河原へ上げて非人を付けてある、と聞き終った藤吉、
「口を覗いたか。」
「へえ麻屑を少し噛んでやした。それから、木綿糸も。浴衣の地かな――?」
 皆まで聞かずに、勘次の押さえている味噌松の両袖を、何思ったか藤吉はめりめり[#「めりめり」に傍点]と※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》り取った。と、裸かの右腕に黒痣《くろあざ》のような前歯の跡。
「やい、松、往生しろ。」
「糞をくらえ!」
 と味噌松は土の上へ坐り込んでしまった。
 かねがねおみつに横恋慕していた味噌松は、まず邪魔になる孫右衛門の母お定を締め殺して河中に捨て、次に、誰かは知らずおみつに情夫のあることを感づいて眼が眩《くら》み、一挙にして男二人を葬っておみつを我物にしようと、長らく企《たくら》み抜いた末が、昨夜のあの孫右衛門殺しとなったのだった。
 気がつ
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