き直った。
「旦那は昨夜寄合いかね?」
「いえ、あの、」とおみつは顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を[#「顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を」は底本では「顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こかめみ》を」]押えて、「母さんのことでお組長屋前の親類まで行ってくるが空が怪しいから足駄だけ出せと言って、暮れ六つ打つと間もなくお出かけになりました。」
「そうそう、婆さまの生死《いきじに》も知れねえうちにまたこの仕末だ。ばつ[#「ばつ」に傍点]の悪い時あ悪いもんでのう。」
藤吉は優しく言った。湿《しめ》やかな空気が流れた。
おみつの話はこうだった。
親戚へ行った主人は五つ半過ぎても帰らない。母親の失踪以来相談に更けて泊り込んでくることも珍しくないので、昨夜も別に気に留めずに、独り床を敷いて横になった。が、どういうものか寝就かれず、時の鐘を数えているうちに雨になった模様。ああ、今夜はとうとう帰らないな、もしまた出て来ても彼家《あそこ》なら傘も貸せば人も付けてくれるはず――こう思うとそれが安心になってか、それから、今朝味噌松に起されるまでおみつはぐっすり[#「ぐっすり」に傍点]眠ったという。
現場に落ちていたあの足駄は間違いもなく自家から穿いて行ったもの。傘も借りて来たことだろうが――と、おみつは言葉を切った。
「いんや、その傘がねえ。のう、松さん。」
藤吉が振り返った。味噌松はうなずいた。おみつは争うように、
「でも、まさかあの雨の中を、傘なしで帰る人もござんすまい。」
「お内儀さんえ。」と藤吉は、輪にした左手の指を鼻の先で振り立てながら、
「旦那あ――やったかね?」
「御酒? いいえ、全然不調法でござんした。」
「はてね。婆さまのこっちゃあ豪く気を病《や》んでいたようだのう。」
「ええ、そりゃあもう母一人子一人の仲でござんすから、傍《はた》の見る眼も痛わしいほど――。」
「親分、旦那の傘は?」
味噌松が口を挾んだ。
「さて、そのことよ。」と藤吉はゆっくりと、「持って帰ったもんなら、御組長屋《おくみながや》と此家《ここ》との道中に、どこぞに落ちてるだんべ。さもなけりゃあ、あんなに濡鼠《ぬれねずみ》になる理由がねえ、と俺あ勘考しやすがね、松さん、お前の推量は?」
「わっちもそこいらだ。そりゃあそうと、親分、出て行った
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