しながら、勘弁勘次は職掌柄人波を分けて細目に開けた格子戸の前に立った。
 江戸名物の尾のない馬が、勝手なことを言い合っているその言葉の端ばしにも、容易ならぬ事件の突発したことが窺われた。
「おや、お前さんは八丁堀の勘さんじゃねえか。」
 こう言ってその時奥から出て来たのは、少し前まで合点長屋の藤吉の部屋で同じ釜の飯を食っていた影法師の三吉であった。彼は藤吉の口利きで今この界隈の朱総《しゅぶさ》を預る相当の顔役になっていたものの、部屋にいたころから勘次とはあまり仲の好い間柄ではなかった。まして繩張りがこう遠く離れてからというものは、かけ違ってばかりいて二人が顔を会わす機会もなかったのであった。
「何だ、喧嘩か、勘弁ならねえ。」
 勘次は内懐から両手を出そうともせず、同じことを繰り返していた。
「相変らず威勢がいいのう。」
 冷笑《ひやか》すような調子で笑いながら、
「なにさ自害があったのさ。」
 と三吉は事もなげにつけたした。
「自害か、面白くもねえ。して――髱《たぼ》か、野郎か?」
 それでもいくぶん好奇心をそそられたと見えてこう訊き返しながら、ふと勘次は格子内の土間の灰溜りに眼をつけ
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