のけた。
「なにさ、今すぐ解るこったが、飛脚を立てるなら三途川《さんずのかわ》の渡し銭を持たしてやらなくちゃなるめえって寸法よ。なあ三吉、手前も合点長屋の巣立ちじゃねえか、よっく玉を見ろい、そりゃあ、お前出刃の傷じゃねえぜ。匕首だ。九寸五分の切れ味だい、玉の傍に出刃を置いたところが、はははは、これが真物《ほんもの》の小刀細工ってもんだろうぜ。一昨日からの仏ってことは肌の色合いと血の粘りで木偶《でく》の坊にも解りそうなもんだ。昨日はあの雨で一日|発見《めっか》らずにすんだだけのことよ。」
そこへ勘次が息せききって帰って来た。
「親分、あの板を剥がして裏天井の明《あか》り取りからずら[#「ずら」に傍点]かったに違えねえ。埃の上に真新しい足跡だ。」
「えっ。」と並居る連中は驚きの声を揚げた。
「ふん。大方そんな狂言だろうと思ったところだ。」
と藤吉は改めて人々の顔を見渡した。
「この界隈に左手利きはいねえか。」
伊勢源と幇間が一緒に叫んだ。
「お銀さん!」
「違えねえ。」
と藤吉は笑った。
「格子の外から刺しておいて戸へ足をかけて刃物を抜いたことは格子の瑕でも見当はつくが、その足跡から見ると、お銀さんてえのは、四尺七、八寸の優形で女の身の持ち方知らずに刃を下へ向けたところから、左手利きをそのまま出して刀痕《あと》がの[#「の」に傍点]の字――。」
「おう、親分え。」と、戸口で大声がした。
「彦か、いいところへ帰って来た。して首尾は?」
「なに、お前さん。」と吉原から帰って来た彦兵衛は、小気味よさそうに独特の微苦笑を洩らしながら言葉をつないだ。
「一文字の歌と栄太の野郎とは、馴染みどころか、二度《うら》を返したばかりの浅え仲だってまさあ。そんなことより耳寄りなのは、栄太の二の腕に――。」
「お銀|命《いのち》の刺青か。」
と藤吉が後を引き取った。
「えっ。」
と叫びながら影法師三吉は兎のように隅へ飛んで行って、めりめりと死骸の袖を破った。杵屋助三郎の腕は女のように白くて黒子《ほくろ》一つなかった。
人々は愕然と顔を見合った。
「栄太とお銀で仕組んだ芝居だあな。お銀が戸外から夫の助三郎を突いた後で、栄太の野郎がはいり込んで、内部《なか》から全部戸締まりし、出刃に血を塗って捨てておいたり、煮え湯をかけてそっぽ[#「そっぽ」に傍点]をむいたりしやがって、手前は天井からどろん[#「どろん」に傍点]をきめただけのことよ。まあ、あまり遠くへも草鞋は穿くめえ、三吉、犯人《ほし》を挙げるのは手前の役徳、あっし[#「あっし」に傍点]ゃあこれから海老床さ、へっへ。えれえおやかましゅうごぜえやした。皆さん、御免下せえやし。」
藤吉の尾《しり》につきながら勘弁勘次は、彦兵衛を返り見た。
「彦、紙屑籠を忘れるなよ。」
葬式彦兵衛は眼だけで笑って口の中で呟いた。
「ああ、身も婦人心も不仁慾は常、実《げ》に理不尽の巧《たくみ》なりけりとね。」
四
深川木場の船宿、千葉屋の二階でお銀栄太の二人が影法師三吉手下の取手に召捕られたのは、翌る四年も秋の末、利鎌《とがま》のような月影が大川端の水面《みなも》に冴えて、河岸の柳も筑波颪に斜めに靡《なび》くころであった。
白洲へ出てはさすがの二人も恐れ入って逐一白状に及んだ。
従前から二人の仲を臭いと見ていた助三郎は、嫌がるお銀を無理にしばらく江戸を離れてるようと、甲府を指して発足したが、小一町も来ない内に後から栄太に追いかけられて、世間の手前途上の口論《いさかい》が嫌さに自宅へ引っ返したのであった。栄太の難題はいつもと同じに金の無心から始まった。金子の入要な旅先のことではあり、そうかと言って拒絶《ことわ》れば後が怖いし、ほとほと困じ果てた助三郎は、言われるままにお召の上下を脱ぎ与えて栄太と衣裳を交換したのであった。が、栄太の助けに力を得て、お銀はいっそう甲府落ちを拒み出した。平素からの疑いが確かめられたように感じて、助三郎は思わずかあっ[#「かあっ」に傍点]となった。醜い争いが深夜まで続いた後、折柄|篠《しの》突くばかりの土砂降りの中をお銀は戸外へ不貞腐れて出たのだった。後を追って助三郎が格子へ手を掛けた時、雨に濡れた冷たい刃物が彼の脾腹《ひばら》を刳《えぐ》った。一切の物音は豪雨が消していた。それから後の姦夫姦婦の行動は釘抜藤吉の推量と符節を合わすように一致していて、時の奉行も今さら藤吉の推理力に舌を巻いたのであった。
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安政四年十二月白洲に於て申渡し左の通り
馬道無宿 栄太 三十六歳
其方儀弟妻阿銀と密通致し其上阿銀の悪事に荷担致し候段重々不届に付町中引廻しの上浅草に於て獄門申付くる事
竜泉寺町 ぎん 二十四歳
其方儀夫兄栄太と密通致
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