さか離れた森かげの納屋では、峰丹波の下知で、いよいよ夜中の仕事にとりかかることになった。
一同は二手にわかれた。丹波とお蓮様は数名の者に、源三郎の身がわりの死骸《なきがら》をかつがせて、泣きの涙の体よろしく、ここからただちに本郷妻恋坂の司馬道場へ帰る。
ほかの連中が、小屋にある農具を手に、大急ぎで、あの左膳と源三郎の穴を埋めてしまおうというので。
いのち綱《づな》
一
「ほんとに、おめえみたいに親不孝な者ったら、ありゃアしない。その年になって嫁ももらわず、いくら屑屋《くずや》だからって、親一人子ひとりの母親を、こんな、反古《ほご》やボロッ切れや、古金なんかと同居さしといてサ、自分は平気で暇さえあれァ、そうやって酒ばっかりくらっていやアがる」
ボーッと灯のにじむ油障子の中路地のなかの一軒に、いきなり、こう老婆のののしる声がわいた。
ここはどこ?
と、きくまでもなく。
浅草《あさくさ》竜泉寺《りゅうせんじ》、お江戸名所はトンガリ長屋。
その、とんがり長屋の奥に住む、屑竹《くずたけ》という若い屑屋の家《うち》だ。
母ひとり子ひとりというとおり、いま、こうたんか[#「たんか」に傍点]をきったお兼というお婆さんは、この屑竹の母親なのだ。
六畳一間ほどの家に、およそ人間の知識で考えられるかぎりの、ありとあらゆるガラクタが積まれて、……古紙、雑巾《ぞうきん》にもならない古着、古かもじ、焚きつけになる運命の古机、古文箱。
古いお櫃《ひつ》には、古い足袋《たび》がギッシリつまり、古い空《あ》き樽《だる》の横に、古い張り板が立てかけてある始末。
身の置きどころ、足の踏み立て場もない。
室内のすべてのものには、上に古という字がつくのだ。
お兼婆さんも、まさに、その古の字のつく一人で、古い長火鉢の前に、古い煙管《きせる》を斜に構えて、
「商売に出たら最後、途中で酔っぱらって、三日も四日も家へ寄りつきゃアしない。この極道者めがッ! お母《ふくろ》なんか、鼠に引かれてもかまわないっていうのかい」
この怒号の対象たる屑竹は?
と見ると。
やっと二畳ほどのぞいている古だたみの真ん中に、あおむけにひっくりかえって、酒臭い息、ムニャムニャ言っている。
二、三日前、籠を背負って、
「屑イ、屑イ、お払い物はございやせんか」
と、駒形のほうへ出て行ったきり、この夜中に、やっと家を思いだしたようにブラリと帰って来たところだ。
ほかには道楽はなし、邪気のない男だが、若いくせに、大の酒ッくらいなんだ、この屑竹は。
おっかさんがおこるのも、むりはないので。
「そうして、帰ってくるかと思うと、私の言うことなんか馬の耳に念仏で、そうやって大の字なりの高|鼾《いびき》だ……よし! 今日は一つ、泰軒先生に申しあげて、じっくり意見をしてもらいましょう」
と、たちあがったお兼婆さん、
「いま、泰軒先生を呼んでくるから、逃げかくれするんじゃないよ」
「ヘン! 逃げたくったッて、足腰が立たねえや。自慢じゃアねえが、宵から三升も飲んだんだ」
「マア、ほんとに、あきれて口がきけやアしない。母親を乾干しにしておいて、自分はそんなに酒をくらって歩くなんて」
憤然として、入口の土間に下り立ったお兼婆さん、暗がりをまたいでかけ出す拍子に、
「オ痛タタタタタ!」
何やらけつまづいたようす。
「なんだい! こんなところへこんなものころがしといて! 危いじゃないか。オヤ、茶壺だね。マア、うすぎたない茶壺だよ」
下駄でイヤというほど蹴っておいて、お兼は、どぶ板をならして家を出た。
二
これはいったい、どうしたというのだ。
おなじトンガリ長屋の、作爺さんの家だ。
土間から表へかけて、いっぱいに下駄がはみ出したところは、縁起《えんぎ》でもないが、まるでお通夜のようだと言いたい景色。
家の中には、例の泰軒居士を取りまいて、長屋の男、女、お爺さん、お婆さん、青年や若い女が、ギッシリすわって、作爺さんは、出もしない茶がらをしぼって、茶をすすめるのにいそがしい。
かわいい稚児輪《ちごわ》のお美夜ちゃんがねむそうな眼をして、それをいちいち配っている。
「だから、じゃ――」
と、泰軒先生は、あいかわらず、肩につぎのあたった縦縞の長半纏《ながばんてん》、襟元に胸毛をのぞかせて、部屋のまん中にすわっている。合総《がっそう》の頭をユラリとさせて、かつぎ八百屋《やおや》をしている長屋の若者のほうを、ふり向いた。
「だからじゃ。そのお町という女に実意があれば、どんなに質屋の隠居が墾望しようと、また父親《てておや》や母親《おふくろ》がすすめようとも、さような、妾の口などは振りきって、おまえのところへ来るはずじゃが」
先生は、チラと若
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