な大声をはりあげ、
「皆の衆! しばらくのお別れじゃ。泰軒とチョビ安は、これよりちょっと日光へ行ってまいる。安の父親というのが知れてな」
 という声に、長屋じゅうから親爺やおかみさんや、兄イや姉ちゃん連が、ゾロゾロたち現われて、口々に、
「マア安さん、おめでとう。父《ちゃん》のいどころが知れたんだって?」
「安|兄哥《あにい》、こんなうれしいことはねえだろう。おめえの父《ちゃん》は、どこのなんてえ者だ」
 チョビ安の親探しは、近処《きんじょ》かいわい、誰知らぬ者もない。今その親が判明して、泰軒先生に連れられて、これから旅に出るというのだから、長屋の連中は自分のことのように喜んで、美しい人情の発露、イヤ、もう、たいへんなさわぎです。竜泉寺の角まで送ってきて、そこで泰軒とチョビ安は、一同につきぬ名残りを惜しみ、日光をさして闇の街へ、大小二つの影法師が消えていったが。
 すると、その真夜中過ぎのこと。
 長屋の口きき役ともいうべき石屋の金さん方の表戸を、ドンドンたたく者がある。
 寝ぼけまなこをこすった金さんが、出てみると……。
 隻眼隻腕の白衣《びゃくえ》の浪人、うしろに御殿女中くずれのような風俗《なり》の女が、一人つきそって、浪人が、木枯しのような声できくには、
「この長屋に、以前チョビ安という者がおったはずじゃが」
「ヘエ、安公なら、今夜宵の口に、なんでも父親が見つかったとかで、日光をさして旅に出やした、ヘエ」
「ナニ、日光へ?」
 と聞いた丹下左膳、お藤を連れて、これもそのままチョビ安のあとを追い、すぐその足で日光へ向かうことになったが……。
 と、それから数刻ののち、左膳のあとをたずねて、このトンガリ長屋へ来た柳生源三郎、その御浪人ならちょっとここへ寄って、ただちに日光へ出むいたという石金《いしきん》の言葉に、彼源三郎も、その場からただちに、日光へ、日光へ。

       五

 ほのぼの明けに江戸を出はずれた、蒲生泰軒とチョビ安の二人。
 すこし遅れて、丹下左膳櫛巻お藤。
 お藤はもう、どこかで懐中のお鳥目をはらって、旅のしたくをととのえたとみえ、椎茸髱《しいたけたぼ》もぎっとつッくずして、柄《がら》に合った世話な櫛巻。お端折《はしお》りをした襟つきの合羽姿が、道行く人を振りかえらせるほどの仇《あだ》な年増《としま》ッぷりでした。
 遅れてトンガリ長屋へたどりつき、やはり石屋の金さんから、丹下左膳らしい浪人者が、さっき長屋へたずねてきたが、人を追ってすぐ日光へ出かけたと聞いた伊賀の暴れん坊、気の早いほうでは、人後に落ちません。司馬道場から引き連れて来た弟子三名を従えて、これも道々この店で脚絆、わらじ、あの店で笠《かさ》に柄袋《つかふくろ》といったように、旅の装束をととのえつつ、紫いろのあけぼのの江戸をあとに……。
 江戸から二里で千住《せんじゅ》、また二里で草加《そうか》、同じく二里の丁場《ちょうば》で、越ケ谷、粕壁《かすかべ》――。
 日光街道に、三組のふしぎな旅人が、それぞれ先を望んで点々として追うがごとく。
 ところで、ここに。
 つぎの動きは、まずあの、大人とも子供とも得体の知れないチョビ安を中心に、まき起こるに相違ないとにらんで、この間じゅうからずっと、あのトンガリ長屋の付近へ張りこみ、それとなくようすをうかがっていた男がある。
 ほかでもない、つづみの与吉。
 こやつ、いつ江戸へまい戻ったものか、若党|儀作《ぎさく》の壺のあとを追って、せっかくうばったのを、また取り返されたという失敗にもこりず、頭をかきかき、またあの司馬道場の峰丹波へ、うまくとりいったのだろう。
「ヘエ、こんどこそはあっしが、あのチョビ安ってエ大人小僧をつけねらって、ナアニ、きっとこけ猿の茶壺を手に入れてお目にかけやす。ヘッ、お茶の子さいさい」
 例によって安請合い、おおいに丹波の前にいい顔をしておいて、それからずっとこのトンガリ長屋を夜となく昼となく、見張りはじめたというわけ。
 与吉のやつは、チョビ安に、忘れられない恨みがあるんです。
 そもそもこの事件の当初。
 うまく品川の宿舎《やど》から、こけ猿の壺を盗み出したのに、途中でそれをうばって逃げ出したのが、あのチョビ安。あれがこの紛糾のもととなったのですから、チョビ安に対する与吉のうらみたるや、山よりも高く、海よりも深い。
「こんどこそはあの小僧のやつを、とっちめてやるぞ」
 と、昼夜兼行で、ねらっていると。
 すると、今夜のこと。
 誰かわからぬが、偉そうな覆面の侍が、この長屋をおとずれたと思うまもなく、チョビ安と泰軒が、連れだって旅へ出たようす。見送りの長屋の連中のうしろに立って、それとなく聞いたところでは。
 日光へ……という。
 ハテナ? と思うひまもなく、こんどはたえてひさし
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