見違えるほど、活《い》きてきたであろうが」
あとは、またコツコツと、木を刻む音だけがしばらくつづく。
深山の静寂は、まるで痛いほど、耳をつきさす。百千の虫、鳥どものなき声が、この静かさの中にこもっているのだ。
小屋の中は、シインとしている。
二
と、思うと……。ふたたび。
「コラコラ、動いちゃいかん! う? 何? もう疲れたというのか、じっと立っておるのは、辛抱ができんか、ははははは、よし、休もうナしばらく」
別人のように若やいだ、艶のある作阿弥の声。
ひとりごと?
それにしても、変だ、さながら話し相手があるような口調である。
もしここに、彫りあげるまで人に見られたくないという絶対境の作阿弥の芸術心に、些少《さしょう》の尊敬しかはらわない人があって、今この小屋をすき間から、ソッとのぞいたとしたら……。
アッ!――とその人は、おどろきの叫びをあげるに相違ない。
やっぱり一人なんだが、話し相手はあるのです。
馬だ。
今で言えばモデル。一世一代の思い出に、生けるがごとき馬を彫ろうと、鑿の先に心胆のすべてを傾けることになった作阿弥は、馬の骨格、体形などは隅の隅まで知っている彼だが、それでも、今度はモデルがほしいと思いたって、
「単に、手本にするだけではござりませぬ。活《い》きた馬と朝夕《ちょうせき》起居をともにし、その習性を忠実に木彫《もくちょう》に写《うつ》してみたいというのが、愚老の心願でござりまする」
こういう作阿弥の願い出を受けた柳生対馬守は、こけ猿の茶壺がなければこの日光にも事を欠き、手も足も出ないほどの貧藩ですけれども、武張《ぶば》った家柄だけに、名剣名槍などとともに、馬には逸物《いつぶつ》がそろえてある。
まだこれは、この日光へ発足前、江戸の上屋敷にいる時分だったので、さっそく作阿弥を厩《うまや》の前へ連れて行き、一頭ずつ広場へ引きだして見せたのだが、どの馬にも、だまって首を振るばかり。
最後にひき出した馬は、「足曳《あしびき》」という名のある対馬守第一の乗馬で、ひと眼見た作阿弥は、はじめてうむ[#「うむ」に傍点]と大きくうなずいたのだった。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の……。
古歌にちなんで足曳と命名されたこの駿馬《しゅんめ》は、野に放したが最後、山鳥のように俊敏に、草を踏みしだき、林をくぐり、いや、鳥のごとく天空をも翔《か》けんず尤物《ゆうぶつ》。
これをおいて、ほかにモデルはない。その足曳が、今この日光の山奥の仕事小屋に、連れこまれて、燃えあがるような作阿弥老人の制作欲の対象に置かれているのだ。
「さア、かいば[#「かいば」に傍点]をやろうなア」
と作阿弥は、まるで人にものを言うように、しきりにたてがみをなでながら、
「こんどは、ぐっと首を上げて、正面をにらんでいてくれよなア」
やさしく頼むように言うのですが、いくらりこうな馬でも、そう注文どおりにはいきません。
道具をほうり出した作阿弥は、すこし離れて、なかば彫りかけた首の像に、見いっている。
首から胴は一本で、刻みのあとの荒い馬の姿が、なかばできかかったまま立っている。
が、この未成品、すでに惻々《そくそく》と人に迫る力をもっているのは、やはり、作阿弥の作阿弥たるゆえんであろう。
「ウウム、陽明門の登り竜と下り竜が、夜な夜な水を飲みに出るというなら、この、おれの彫った馬は、その竜を乗せて霧降《きりふ》りの滝をとび越せッ!」
「いや、みごとみごと!」
作阿弥のひとりごとに答えて、別の声がした。
馬が口を?
と、作阿弥が振りかえったとき――。
三
いつのまにこの谷へくだって来たのか、跫音《あしおと》もしなかったが、と、ギョッ! として作阿弥が、戸口を振りかえってみると……。
柳生対馬守。
家老、田丸主水正とただふたり、ほかに供もつれずに。
制作の進行ぶりを、おしのびで見に来られたものとみえます。
「どうかの? 足曳はおとなしくじっ[#「じっ」に傍点]として、写生の手本になっておるかの?」
と対馬守、手斧《ておの》や木くずや、散らかっている道具をまたいで、小屋へはいってきた。
半分板張りになっていて、むこうの土間に、殿の乗馬足曳が、つないである。
厩《うまや》のように、馬と同居しているのですから、ムッとした臭気《におい》が鼻をおそう。
それよりも、あわてたのは作阿弥で、彫刻が完成するまでは、誰にも見せたくない。殿様といえども、眼に触れさせたくないので、大いそぎで、ゆたん[#「ゆたん」に傍点]のような唐草模様の大きな布《ぬの》を、ふわりと、彫りかけの馬の像へかけてしまった。
そして、ひらきなおって、対馬守と主水正の主従を、おそろしい眼でにらみつけた。
「ちと無礼で
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