かりなく……」
なんかと、あくまでも、伊賀の暴れん坊の兄貴ぶっています。
丹波のものものしい構えに対して、源三郎は心憎いほど落ちついている。口の中で、小唄か何かうなっているようすで、
「いきますかな」
ひとり言のよう口ずさみ、抜きはなった一刀をピタリ青眼につけたまま、ジリリ、ジリリと、爪先《つまさき》きざみに詰めよって行く。
もう草露もほしあがるほど、夏の陽は強く照りわたって、ムッとする土いきれが、この庭|隅《すみ》の興奮に輪をかけるのだった。
枯れ木に花の咲いたような、百日紅《さるすべり》が一本、すぐ横手に立っている。そのこずえ高く、やにわに蝉《せみ》が鳴きだした。
ジーンと耳にしみるその声のみが、この瞬間の静寂を破るすべてだ。
源三郎手付きの伊賀侍も、不知火道場の連中も、わきあがる剣気におされるように、その取り巻く人の輪が、思わずうしろにひろがる。
誰も彼も、いざといえば抜くつもり。
みな一刀の柄に手をかけて。
それと見るより、田丸主水正は、大声に叱咤《しった》して、
「双方助太刀無用! 手出しをしてはならぬぞ!」
白扇を斜《しゃ》に構えて、どなりました。
これが、峰丹波の待っていた機会!
柳生流でいう閂《かんぬき》の青眼《せいがん》……押せども衝《つ》けども、たたけども、破りようのない伊賀の暴れん坊の刀法に、手も足も出ない丹波は、もしつぎの瞬間、源三郎が動きを起こせば、まず、その一刀は身に受けずばなるまい。ついに、ここで命を落とすのかと、こう頭にひらめいたのが、窮鼠の彼に意外な活路を与えたに相違ないのです。
「ごめん!」
とうめきざま! 血迷ったか丹波、突然その釣瓶落しを振りかぶるが早いか、それこそ、秋の日ならぬ秋の霜、秋霜烈日《しゅうそうれつじつ》のいきおいで、大上段に斬りつけたのです。
源三郎へ?
四
峰丹波の烈刀、釣瓶落しは、やにわにうなりを生じて動発した。
当の相手、伊賀の源三郎へ向かって?
否《いな》!
かたわらに立っていた、判定役の柳生対馬守……実は田丸主水正を目がけて。
これが本当の対馬守でしたら、ちっともあわてずに、手にしていた扇子で釣瓶落しの白刃をみごとに横にはらい流した――などという、よく名人妙手にまつわる伝説的逸話が、もうひとつふえたかもしれないが。
そこは悲しいかな、偽物の柳生対馬守。
だいたいこの江戸家老というものは、殿様がお国詰めのあいだ、在府の諸家諸大名と交際するのが、その本業。
いわば外交官。
いくら武をもって鳴る柳生藩の家老でも、どっちかといえば文官であって、主水正、武人ではない。
ですから。
このとき主水、すこしもさわがず――とはまいりません。
おおいにさわいだ、見苦しいまでに。
「ナ、何をする! これ、気でもふれたか」
泣くような悲鳴をあげて、横っとびにスッ飛んだ主水正、今まで気どりかえっていた殿様役も、すっかり忘れて、
「は、発狂されたか! ワ、わしは相手ではない。わ、若君、ゲゲ、源三郎様が、貴殿の敵ではないか」
そのあわてぶりが、よほどおかしかったと見えて、人の悪い源三郎は、刀を引いてゲラゲラ笑いだしてしまった。
これが唯一の逃げ路《みち》と、丹波は一生懸命、
「偽物ッ! からくりは見抜いたぞ!」
叫びながら、釣瓶落しをまっこうに振りかざして、なおも主水正目ざしてとびこもうとする。
「柳生対馬守に、この丹波の刀《とう》が受け止められぬはずはない。失礼ながら打ちこみますぞ、対馬守様!」
大声に叫びながら、丹波は一心に主水正へ斬ってかかる。
「待った! 待った! とんだ気ばやの御仁《ごじん》じゃ。わしは、ただ、殿の言いつけでまいっただけで、近ごろもって迷惑至極!」
周章狼狽をきわめた主水正は、立ち木の幹を小楯にとって、
「コレ、人違いじゃというに、わしは対馬守様ではござらぬ。家老の田丸――」
丹波はこれで、一時のがれに命を拾おうという気だから、
「田丸もたまらんもあるものか。サア、判定役の手腕から先に、見参いたしたい」
「もし! 源三郎様ッ! 笑ってばかりいずと、この無法者を、お取りおさえください」
立ち木を中に、二、三度堂々めぐりをして、猫と鼠のように追いつ追われつしていた主水正は、機を見ていっさんに裏木戸から、外の妻恋坂の通りへ抜け出してしまった。そして、ほうほうの体《てい》で、麻布林念寺前の上屋敷へ引きあげていったが――。
峰丹波もガッチリしたもので、釣瓶落しを鞘におさめた彼、悠然たる態度で源三郎の前へ引っかえして来た。
「条件が違うではござらぬか、源三郎殿、拙者よりも貴殿よりも、一段と業《わざ》の上の者が判定に立ちあうのでなければ、他流仕合は、いっさいごめんこうむる。これが、当十方不知火
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