いから、首をさしのべた他の一人が、その先を読んで、
「……判定なくして、他流仕合いを行なうは、当不知火道場のかたく禁ずるところにつき、か。ハッハッハ、うまい抜け道を考えたもんだな」
「それでは、先方の申すとおり、判定をつけようではございませぬか」
 この大八の言葉は、主君源三郎へ向けられていた。ムックリ起き上がった伊賀の暴れん坊、ふところの両手を襟元にのぞかせて、頬づえのように顎《あご》をささえながら、
「おれもそう思っていたところだ……しかし、この判定は、おれ以上に腕のたつ者でなければならんと言うのだから――」
 源三郎の頭に、このとき影のように浮かんだのは、隻眼隻腕、白衣の右の肩をずっこけに、濡れ燕《つばめ》の長い鞘《さや》を落し差しにしたある人の姿。
「だが、左膳のやつは、今ごろどこにいるだろう。用のあるときはまにあわず、用のないときにかぎって、ヒョックリ現われるのが彼奴《きゃつ》じゃ」
 ポント膝をたたいた源三郎、
「そうそう! 兄貴に頼もう。兄対馬守をこの審判に引っぱり出そう。安積《あさか》の爺《じい》、そち大急ぎで、林念寺前の上屋敷へこの旨を伝えに行ってくれぬか。それから、大八、硯《すずり》と墨《すみ》を持ってまいれ。もう一度、峰丹波に笹の便りをやるのだ」

       三

 麻布林念寺前の上屋敷で。
 柳生対馬守が、お畳奉行別所信濃守を招《しょう》じて、種々日光御造営の相談をしているさいちゅう、取次ぎの若侍が、縁のむこうに平伏して、
「ただいま、妻恋坂より、師範代安積玄心斎殿がお見えになりましてございます」
 と言ったのは、玄心斎、こうして源三郎の命令で、急遽《きゅうきょ》、使いにたったわけでした。
 日光の御山《みやま》を取りまいて、四十里の区域に、お関所を打たねばならぬ。用材、石、その他を輸送する駅伝の手はずもきめねばならぬ。打ちあわすべきことは山ほどあって、着手の日は目睫《もくしょう》にせまっているのですから、対馬守はそれどころではない。
 気が向かないと返事をしない人だけに、例によって、知らん顔をしていましたが。
 安積玄心斎……と聞いて、ピクッと耳をたてた。
 弟源三郎につけてある爺が、この夜中に、何事――?
 と思ったのです。
「ナニ、安積の爺が」
 しばらく考えて、
「別間へ通しておけ」
 そして、正面の信濃守へ向かって、
「私用で使いの者がまいったようじゃ。失礼ながら座をはずしまする。暫時《ざんじ》お待ちのほどを」
 起きあがって、一間《いっけん》の広いお畳廊下へ出た。
 ところどころに置いた雪洞《ぼんぼり》に、釘かくしが映《は》えて、長いお廊下は、ずっとむこうまで一|眼《め》です。
 小姓に案内された玄心斎が、そのとき、すこし離れた小間へ通されるのが見えた。
 無造作な対馬守は、スタスタと大股に歩いていって、安積老人のすぐあとから、その部屋へはいった。
 うしろ手にふすまをしめながら、立ったままで、
「なんじゃ。用というのを早く申せ」
 それへ手をついた玄心斎、雪のような白髪の頭を低めて、
「殿には、いつに変わらず御健勝の体《てい》を拝し……」
「挨拶などいらぬ。なんの用でまいったと言うに」
「またただいまは、御用談中を――」
「客を待たしてあるのじゃ。源三郎から、何を申してまいったのだ」
「殿と、司馬十方斎殿とのあいだに、源三郎様と萩乃様との御婚儀のこと、かたきお約束なりたちましたについて、てまえはじめ家来どもあまた、源三郎様にお供申し上げて、正式にこの江戸の道場にのりこみましたにかかわらず――」
 対馬守は、源三郎によく似た、切れの長い眼を笑わせて、
「そもそもから始めたナ。長話はごめんじゃよ、爺」
「ハ……いえ、しかるに、先方に思わぬじゃまが伏在《ふくざい》いたしまして、十方斎先生のお亡《な》くなりあそばしたをよいことに源三郎様に公然と刃向かいましてな」
「わしは、たびたびその陰謀組《いんぼうぐみ》を斬ってしまえと、伊賀から源三郎へ申し送ったはずじゃが、そのたびに、源三郎の返事はきまっておる――かりにも継母《はは》と名のつくお蓮の方が、むこうの中心である以上、母にむかって刃《やいば》を揮《ふ》ることはならぬ。よって、持久戦として、すわりこんでおるとのことじゃったが」
「ハッ、その間、いろいろのことがござりましたが、殿、お喜びくだされ。明早朝を期し、元兇峰丹波と源三郎様と、真剣のお立ちあいをすることになりました。ついては、先方の申し出でにより、その判定を殿にお願い申そうと……」

       四

「馬鹿言え!」
 叱咤《しった》した対馬守、早くも半身、お廊下へ出かかりながら、
「爺も爺ではないか。そんな、愚にもつかんことを申してまいって。帰って源三郎にそういえ。自分のことは、自分で処
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