ら、もうスッカリかたまって、一個のかたい物質に変化しつつある。
しかも、ただ削り落としてしまえばよいのではない。
一枚一枚、小刀の先で上から順々に剥がすのですから、愚楽老人たいへんな役目を言いつかったものだ。
初代の柳生が隠したのですから、どうせ下のほうであろうけれど、もし傷つけでもしては、今までの苦心が水の泡。第一、日光御造営を目前にひかえて、柳生一藩、浮かぶ瀬のないことになる……と小刀のさきで蓋の紙をせせくる老人の額には、いつのまにか玉の汗が――。
三
めったに緊張したことのない愚楽老人、このときだけは、小刀で蓋の紙を剥がす手が、ワナワナとふるえたといいます。
それはそうでしょう。
何しろ……。
貧乏と剣術をもって天下に鳴る柳生藩に、莫大な財産がかくされてあるとの、諸国潜行の隠密、お庭番の報告を土台に、このたびの日光大修営の建築奉行を柳生対馬守におとすべく吉宗公に進言したのは、そのお庭番の総帥《そうすい》たるこの愚楽老人……今この壺の蓋から埋宝の個所を明記した古図が出てこない日には、愚楽さんの責任問題だ。
だが、しかし――百年もの長いあいだ、毎年上から上へと、糊と奉書で貼りかため、そいつがうずたかい層をなしているんだから、ちっとやそっとではうまく剥がれっこありません。
もし小刀の先で傷つけでもしようものなら、元も子もなくなる……。
上から削るように、紙を剥がしてゆく老人のしわ深い額には、水晶のような汗の玉が――そしてまた、その愚楽の手もとを見守る八代将軍吉宗様と、大岡越前守の手にも、いつのまにか汗が握られているので。
壺一つを中に、当時天下をおさえた三賢人の吐く息が、刻々熱く、荒らくなる。
物事の肝どころをツボと言いますが、それは、このこけ猿の茶壺から起こったのです。
「紙というものは……こうしてみると――わりかた……丈夫な――ものとみえる」
愚楽老人、そう一言ひと言、切って言いながら、心気のすべてを小刀のさきに集めて、一生懸命、
「世辞をかためて浮気でこねて――じゃアねえ、糊でかためて時代がたって……まるで岩のようじゃわい」
と愚楽、あまりに緊張しすぎた室内の空気を、笑いほごそうとするかのように、そんなことを言った。
が、その気分の緩和策も、なんの役にもたたない。
紙はめくり進んで、もう柳生時代のころに達したら
前へ
次へ
全215ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング