「ハハア、そうか……」
 忠相のおだやかな顔が、ニッコリほころびた。

       五

 柳の影が、トロリと水にうつって、団々《だんだん》たる白い雲の往来《ゆきき》を浮かべた川が、遠く野の末にかすんでいる。
 三方子川《さんぼうしがわ》の下流は、まるで水郷のおもかげ……。
 鳴きかわす鶏《とり》の声で、夜が明けてみると、あちこちに藁葺きの家が三軒、四軒。
 渡しの船頭や、川魚をとる漁師の住いだ。
 その一つ――。
 前の庭には網をほし、背戸口から裏にかけては畑がつくってあろうという、半農半漁の檐《のき》かたむいた草屋根です。
「どうじゃな、お客人。気がつかれましたかな」
 火のない炉ばたに大あぐらをかいて、鉈豆煙管《なたまめぎせる》でパクリ、パクリ、のんきにむらさきのけむりをあげていたこの家《や》の主人《あるじ》、漁師|体《てい》のおやじが、そう大声に言って、二間《ふたま》きりないその奥の部屋をふりかえった。
「ウウむ……」
 とその座敷に、うめき声がわいて、
「オオ! ここはどこだ!」
誰やら起きあがったようす。おやじはのそり[#「のそり」に傍点]と立って行って、奥の間をのぞく。不愛想だが、人のよさそうな、親切らしい老人だ。
「ウム、どうじゃな、気分は」
 すると……。
 ふしぎなこともあるものです。床の上にけげんな顔をしてすわっているのは、丹下左膳――この漁師の家で着せられたらしい、継《つ》ぎはぎだらけのゆかたを着て、一眼を空《くう》に見はり、ひとりごと。
「あの川床の天井が落ちて、ドッと落ちこむ水にあおられ、運よく穴から川面へ浮きあがったまではおぼえているが――」
 いぶかしげにあたりを見まわした左膳、横の床に、まだあおい顔をして死人のごとく昏々《こんこん》とねむっている柳生源三郎に眼が行くと、
「オオ、貴公もぶじだったか」
 まったく、奇跡というほかはない。
 一条の穴から落ちこむ水は、刻々に量《かさ》をまして、胸をひたし、首へせまり――ぬけ出るみちといっては、高い天井に、落ちてきたときの堅坑《たてあな》が、細くななめに通じているだけ、この生きうめの穴蔵が水びたしになっては!
 左膳も源三郎も、そう覚悟をきめた。チョビ安は地面で、一人でかけまわっているらしいが、救いの手はのびてきそうもない。
 頭の上には、三方子川の激流が流れている。
 と、このとき、ま
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