道、会津街道は、おのおの二里十六町、まさに天下の偉観です。
当時はヒョロヒョロの貧弱な苗でいかにも献納者の懐具合を語っているようだった杉の若木が、今では日本の輪奐美《りんかんび》に、うるわしい調和を見せて、寄進元の頭の良さを示している。
「ずいぶん苦しい思いをして、この杉を植えたのであろう」
今、杉の下を通りながら、お駕籠のなかの対馬守様、同病あいあわれむで、そんなことを考えている。
「昔から日光のためには、貧乏な大名が、みな泣かされてきたのだ――」
大金の所在をのむこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺は、いまだに行方がわからない。
困っている柳生藩を見かねて、愚楽と越前守の取りなしで、あの贋《にせ》の茶壺を庭の松の木に引っかけ一夜のうちに上屋敷の隅へ、この日光に必要なだけの入費を埋ずめておいて柳生を助けた。
いわば、吉宗公のポケットマネーで、やっとこうして造営に出てこられたのですから、対馬守さま、内心おもしろくないことおびただしい。
それにつけても、こけ猿はいまどこにある?
思うのは、このことばかりです。
殿様の身がわりに真剣勝負に立ちあったばっかりに、すんでのことで峰丹波の一刀を浴びるところだった田丸主水正、今は騎馬で、この行列に加わっています。
二
爪先《つまさき》あがりの鉢石町《はちいしまち》を、お行列は静かに登ってゆく。
淙々《そうそう》と、瀬の音が耳に入ってくるのは、激流岩にくだけて飛沫《ひまつ》を上げる大谷《おおや》川が、ほど近い。
神橋《しんきょう》はここにかかっているのです。日光八景中第一の美と称せらるる山菅夕照《やますげせきしょう》。
有名な蛇橋《じゃばし》の伝説に昔をしのびながら、大谷川のささやきをあとにして、老杉《ろうさん》昼なお暗い長坂《ながさか》をのぼりますと、神輿旅所《みこしたびしょ》として知られる山王社《さんのうしゃ》がある。
柳生対馬守、別所信濃守の造営奉行|仮役所《かりやくしょ》は、前もってこの山王のそばにしつらえてある。
このときのお作事《さくじ》の模様を書いたものを見ますと、御番所史録《ごばんしょしろく》に、
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一、柳生対馬、別所信濃両奉行|登晃《とこう》、御宮《おみや》御修覆につき、御山内《ごさんない》に御普請小屋《ごふしんごや》を設け、ただ
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