して、お夕餉《ゆうげ》のお膳をおすすめしても、食べとうないとおっしゃるばかり、お箸ひとつつけずに、そのままお下げになりましたが、いつのまにか、ふっとお姿が見えなくなりまして――」
「ナニ?」
 ギョロリと大きな眼を向けた丹波、この眼で、腰元などにはひどくおどしがきくので。
「そこここをおさがし申したであろうな」
「それはもうおっしゃるまでもございません。お部屋というお部屋はもとより、お庭のすみずみまで、わたくしども一同手わけをして……もっとも、鬼どもの住家《すみか》のほうへは、恐ろしゅうて近よれませんが」
 侍女どもが「鬼の住居《すまい》」と言っているのは、源三郎とその一党が、ふしぎな頑張りをつづけている同じ邸内の一角のことだ。
「フウム」
 丹波は思案に眼をつぶって、
「十五や十六の少女《おとめ》ではない。何かお考えがおありで、そっと戸外《そと》へ出られたものであろう」
「それにいたしましても、私どもへひとことのおことばもなく――何やらこの胸が、さわいでなりませぬが」
 額を青くしている早苗を、丹波《たんば》はうるさそうに見やって、
「大事ない。おっつけ御帰館になろう」
「でも、この真夜中にお供もお連れにならず、いったいどちらへ?」
「それは、わしにはわからぬ。なんだかこの二、三日、ひどくしょげ返っておられたよ。あの年ごろの婦人は、ふっと無情を感ずることがあるものだからな……」
 丹波もさびしそうな顔をしたが、気がついたように、大声に、
「いずれにしても、婢《おんな》どもの知ったことではない。こちらはお蓮様どころではないのだ。お末の者一同、さわがずと早く寝《やす》めと申せ」
「さようでございますか、それでは――」
 と、早苗は、あたふたとさがって行く。
 あとは、車座《くるまざ》になって一同が、不安げな顔を見合わせて、
「どうしたのだろう、お蓮様は」
「何から何まで、意のごとくならんので、ヒステリイを起こしたのでは……。」
 ヒステリイなどと、そんな便利な言葉は、その当時はまだなかった。女の言ったりしたりすることで、男のつごうが悪いと、世の良人《おっと》諸君はみんなヒステリイで片づけてしまう。これは、余談。
「生きている源三郎を見て、心境に大変化をきたしたのかもしれぬテ……オヤ! なんだ、今の音は」
 この言葉の最中に、皆は、庭へ向かった雨戸のほうへ、一度にふり向
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