場ですな。
 三島からくだり道で、沼津の町へはいりますと、
「どうだい、右に見えるのが三国一の富士の山、左は田子の浦だ。絶景だなア!」
 お壺の駕龍が千本松原へ通りかかると、お壺休み。つきしたがう侍たちは、松の根方や石の上に腰をかけて、あたりの景色にあかず見入っています。
 警護頭の竹田も、のんびりした気持になって、お駕籠わきの床几にからだをやすめながら、煙管をとり出して一服しようとする……。
 そのときだ。
 たちならぶ松のむこう、下草などの生い茂っている草むらのなかから、ヌッと白い柱のようなものが起ちあがった。が、まだ誰も気がつかない。
「さア、ひと休みしたら、そろそろ出かけるとしようか」
 てのひらで煙管をたたいて、竹田がポンと火殻を吹いた。

       二

 恋をゆずる気持ほど、悲惨な心はないであろう。
 とすれば。
 今の丹下左膳ほど、暗い胸のうちもまたとあるまい。
 三方子川尻の漁師、六兵衛の家に、萩乃と源三郎をそのままにして、心の暁闇をいだいてたちさった左膳。
 アアもうふつふついやだ、うるさいことは……期せずして、あの櫛巻の姐御と同じ心境にたちいたったが。
 その、世を捨てた気の丹下左膳――左膳だけに、その捨て方がちょっと違う。
「おれの力ひとつで、なんとかしてこけ猿を見つけだしてえものだ。はじめ与吉が盗みだしたのを、あのチョビ安が引ったくって走り、それがおいらのふところに飛びこんだのだから、あの最初の壺こそは、真のこけ猿に相違ねえのだが、それがいつのまにか転々の、数かぎりもない偽物が現われて、こけ猿はいまどこにあるやら?――こうなりゃア、天下の茶壺という茶壺をかたっぱしから手にいれるだけだ。それには、宇治へ上下する茶壺道中をねらい……ウム! どの大名の壺にも、供の侍がおおぜいいることだから、ひさかたぶりにおれも、この濡れ燕も、思うさまあばれられようというものだ。こいつはうめえところへ気がついたぞ」
 ニンマリ笑った左膳、見つけしだい壺の行列をおそって、斬って斬ってきりまくり、それでやっと、萩乃をあきらめたせつなさを忘れようというので――旅に出るといったって、べつにしたくも何もありはしない。
 いつものまんまです。
 汗と塵によごれて、ところどころ黄色くなった白の着物に、すりきれてしんが出ていようという博多の帯を貝の口に結んで、彼にとっては女房
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