の今まで鳴き連れていた名も知れない鳥の群れが、この時ならぬ人の気配にびっくりしたものか、ハタと音《ね》をしずめて、明るい深夜のようなものすごさだ。
反対側は崖です。下には、段々畑がひろがって、遠くにお百姓の使う鍬が、ときどきキラリと眼を射る。
あっけにとられたのは、若党儀作でした。
調子のいいことを言って、壺をかついであとについてきていた、そのいなせ[#「いなせ」に傍点]な若い者が、拍子を見てだしぬけにかけぬけて、ドンドンスッとんでゆくんですから、アレヨアレヨと言うひまもない。人間、あんまりおどろくと、即座にからだが動かないものだ。火事のときなどそうです。人がたちさわぐのに、ただひとりボンヤリ立って、ニヤニヤ笑っている人などがある。
あとで皆が感心して、
「どうもあの人は、偉い。いかにも落ちついたものだて。あのおめえ、となりから火が出たという騒ぎのなかに、口もきかねえで、キッと立っているなんてエことは、ちっとやそっとの度胸ではできることじゃアねえやナ」
などと申します。
そう言われるから、本人はべつに否定もせずに、イヤ、ナニ、それほどでも……などと、あごをなでておりますが、いずくんぞ知らん、動かないのではない、動けないので。
ハッとすると、脳の働きがしびれてしまって、口がカラカラにかわき、とたんに舌がまきこむ。まず何を持ち出そうかなどと考えながら、頭のなかはそれこそ火のついた車のよう。これがわきから見ますと、非常に落ちついたように見えることがある。こういう人にかぎって、手提げ金庫とまちがえて煙草盆をだいてかけ出したり、書類入れのつもりで猫をさかさにつかんでとびだしたりなどという話は、よくあります。
こう考えてみると、歴史上の人物なども、実質の何倍か、ずいぶん得をしている人もあり、また一面には、とんでもない損をしている人もあるんじゃないかと思う。
余談にわたりました。
が、このときの若党儀作が、ちょうどそれで、
「ああ、アア、あの……!」
とわめきながら、泰然と突っ立ったままだ。
ところが、与の公も与の公だ。追ってもこないのに、もう、かかとに跫音が迫るような気がして、ひとりであわてて、
「うわあっ!」
さけぶと同時に、右手の雑木林へかけこんだのです。夢中でした。
壺をひっかかえて、ガサガサと灌木を分けてつきすすんでゆくと! 大きな栗の木が
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