いば》をあわせた左膳と源三郎……今後長く、果たして敵となるか、味方となるか――。
「では、この勝負、一時お預けとするか」
「さよう、いずれ後日に……」
ほほえみかわした二人は、サッと背中を合わせて、包囲する司馬道場の若侍たちへ、怒声を投げた。
「こいつらア、金物の味を肉体《からだ》に知りてえやつは前へ出ろっ!」
と左膳、ふりかぶった左腕の袖口に、おんな物《もの》のはでな長じゅばんを、チラチラさせて。
源三郎は、丹波の大刀を平青眼、あおい長い顔に、いたずらげな眼を笑わせて、
「命不知火《いのちしらぬい》、と申す流儀かの」
与吉は、丹波について部屋へ行ったとみえて、そこらに見えなかった。源三郎が植木屋すがたに身をやつして、入りこんでいたことは、与吉は丹波に口止めされたので、一同にいってない。植木屋にしては、武士めいた横柄《おうへい》な口をきくやつ……皆は、そう思いながら、
「これはおもしろいことになったぞ」
「真剣は、今夜がはじめてで――」
「拙者が、まず一刀を……」
自分らの腕が低いから、相手のえらさ、強さがわからない。
白林いっせいに騒いで、斬り込んできた。
「殺生《せっしょう》だが……」
つぶやいた源三郎、ツと左膳の背に背押しをくれたかと思うと、上身を前へのめらして、
「ザ、ザ、雑魚《ざこ》一匹ッ!」
つかえながら、横なぎの一刀、ふかく踏みこんできた一人の脇腹を諸《もろ》に割りつけて、
「…………!」
声のない叫びをあげたその若侍は、おさえた手が、火のように熱い自分の腹中へ、手首までめいりこむのを意識しながら、グワッと土を噛み、もう一つの手に草の根をむしって――ものすごい断末魔。
同時に左膳は。
右へ来た一人をかわす秒間に、
「あははははは、あっはっはっは――」
狂犬のような哄笑を響かせたかと思うと! 濡れつばめの羽ばたき……。
もうその男は、右の肩を骨もろとも、乳の下まで斬り下げられて、歩を縒《よ》ってよろめきつつ、何か綱にでも縋ろうとするように、両手の指をワナワナとひらいて、夜の空気をつかんでいる。
左膳のわらいは、血をなめた者の真っ赤な哄笑であった。
不知火の一同、思わずギョッとして、とり巻く輪が、ひろがった。
流《なが》れ星《ぼし》
一
庭には斬合いが……と聞いても、萩乃は、なんの恐怖も、興味も、動かさなかった。
剣客のむすめだけに、剣のひびきに胆をひやさぬのは、当然にしても、じつは萩乃、この数日なにを見ても、何を聞いても、こころここにないありさまなのだった。
屋敷中に、パッと明るく灯が輝いて、婢《おんな》たちの駈けまわるあわただしい音、よびあう声々――遠く裏庭のほうにあたっては、多人数のあし音、掛け声が乱れ飛んで、たいがいの者なら、ゾクッと頸すじの寒くなる生血の気はいが、感じられる。
にもかかわらず、派手な寝まきすがたの萩乃は、この大騒動をわれ関せず焉《えん》と、ぼんやり床のうえにすわって、もの思いにふけっているのだ。
ぼんぼりの光が、水いろ紗《しゃ》の蚊帳を淡く照らして、焚きしめた香のかおりもほのかに、夢のような彼女の寝間だ。
ほっと、かすかな溜息が、萩乃の口を逃げる。
恋という字を、彼女は、膝に書いてみた。そして、ぽっとひとりで桜いろに染まった。
あの植木屋の面影が、この日ごろ、鳩のような萩乃の胸を、ひとときも去らないのである。
無遠慮《ぶえんりょ》に縁側に腰かけて、微笑したあの顔。丹波の小柄をかわして、ニッとわらった不敵な眼もと……なんという涼しい殿御《とのご》ぶりであろう!
植木屋であの腕並みとは?……丹波はおどろいて、平伏して身もとを問うたが。
「ああ、よそう。考えるのは、よしましょう」
と萩乃は口に出して、ひとりごとをいった。
「自分としたことが、どうしたというのであろう――お婿さまときまった柳生源三郎様が、もうきょうあすにもお見えになろうというのに、あんな者に、こんなに心を奪われるなどとは」
ほんとに、あの男は、卑しい男なのだ、と萩乃は、今まで日になんべんとなく、じぶんにいい聞かしていることを、また胸にくりかえして。
「植木屋の下職《したしょく》などを、いくら想ったところで、どうなるものでもない。じぶんには、父のきめた歴《れっき》とした良人《おっと》が、いまにも伊賀から乗りこんでこようとしている……」
でも、伊賀の暴れん坊などと名のある、きっと毛むくじゃらの熊のような源三郎様と、あのすっきりした植木屋と――ほんとうに世の中はままならぬ。でも、恋に上下の隔てなしという言葉もあるものを……。
「萩乃さん、まだ起きていたのかえ」
萩乃は、はっとした。継母のお蓮さまが、艶《えん》な姿ではいってきた。
二
気をうしなった峰丹波は。
自室《へや》へかつぎこまれるとまもなく、意識をとり戻したが、おのが不覚をふかく恥じるとともに、なにか考えるところがあるかして、駈けつけたお蓮様をはじめ介抱の弟子たちへ、
「いや、なに、面目次第もござらぬ。ちと夜風に当たりかたがたお庭の見まわりをいたそうと存じて、うら木戸へさしかかったところ、何やら魔のごときものが現われしゆえ、刀をふるって払わんとしたるも、その時すでに、霧のごとき毒気を吹きかけられてあの始末……イヤ、丹波、諸君に会わす顔もござらぬ」
と夢のような話をして、ごまかしてしまったが――心中では、かの柳生源三郎がどうして植木屋になぞ化けて当屋敷へ? と、恐ろしい疑問はいっそう拡大してゆくばかり……。
しかも、素手で、一合も交じえずして自分を倒したあの剣気、迫力!――そう思うと丹波は、乗りかけた船とはいえ、この容易ならぬ敵を向うにまわして、道場横領の策謀に踏み出したものだと、いまさらのごとく、内心の恐怖は木の葉のように、かれの巨体をふるわせてやまなかったのである。
今……。
お蓮さまはこの丹波の話を、萩乃の部屋へ持って来て、
「ほんとに、白い着ものをきた一本腕の、煙のような侍が、どこからともなく暴れこんできたんですって。丹波のはなしでは、それを相手どって、一手に防ぎとめているのが、まあ、萩乃さん、誰だと思います、あの、若い植木屋なんですって」
「あら、あの、いつかの植木屋――?」
と眼を上げた萩乃の顔は、たちまち、朱で刷《は》いたように赤い。
「ですけれど、植木屋などが出ていって、もしものことがあっては……」
と、萩乃はすぐ、男の身が案じられて、血相かえ、おろおろとあたりへ眼を散らして、起ちかけるのを、お蓮さまは何も気づかずに、
「いえ、みんな出ていって植木屋に加勢しているらしいの。でも、なんだか知らないけど、あの植木屋にまかせておけば、大丈夫ですとさ。丹波がそういっていますよ。丹波がアッとたおれたら、植木屋がとんできて、御免といって丹波の手から、刀を取って、その狼藉者《ろうぜきもの》に立ちむかったんですって」
とお蓮様も、かの植木屋が源三郎とは、ゆめにも知らない。
「たいへんな腕前らしいのよ、あの美男の植木屋……」
そう言いさしたお蓮さまの瞳《め》には、つと、好色《いたずら》っぽいあこがれの火が点ぜられて――。
二人のおんなは、言いあわしたように口をつぐみ、耳をそばだてた。
裏庭のほうからは、まだ血戦のおめきが、火気のように強く伝わってくる。
と思うと、時ならぬ静寂が耳を占めるのは、敵味方飛びちがえてジッと機をうかがっているのであろう……。
と、このとき、けたたましいあし音が長廊下を摺ってきて、病間にのこして来た侍女の声、
「奥様、お嬢さま! こちらでいらっしゃいますか。あの、御臨終でございます。先生がもう――」
三
今まで呼吸《いき》のつづいたのが、ふしぎであった。
医師はとうに匙《さじ》を投げていたが、源三郎に会わぬうちは……という老先生の気組み一つが、ここまでもちこたえてきたのだろう。
丹波とお蓮様を首謀者に、道場乗っ取りの策動が行なわれているなどとは、つゆ知らぬ司馬先生――めざす源三郎が、とっくのむかしに品川まで来て、供のもの一同はそこで足留めを食い、源三郎だけが姿を変えて、このやしきに乗りこんでいようとは、もとよりごぞんじない。
ただ、乱暴者が舞いこんだといって、今、うら手にあたって多勢の立ち騒ぐ物音が、かすかに伝わってきているが、先生はそれを耳にしながら、とうとう最期の息をひきとろうとしています。
燭台を立てつらねて、昼よりもあかるい病間……司馬先生は、眼はすっかり落ちくぼみ、糸のように痩せほそって、この暑いのに、麻の夏夜具をすっぽり着て、しゃれこうべのような首をのぞかせている。もう、暑い寒いの感覚はないらしい。
はっはっと喘《あえ》ぎながら、
「おう、不知火が見える。筑紫の不知火が――」
と口走った。たましいは、すでに故郷へ帰っているとみえる。
並《な》みいる医師や、二、三の高弟は、じっとあたまをたれたまま、一言も発する者はない。
侍女に導かれて、お蓮様と萩乃が泣きながらはいってきた。
覚悟していたこととはいえ、いよいよこれがお別れかと、萩乃は、まくらべ近くいざりよって、泣き伏し、
「お父さま……」
と、あとは涙。お蓮の眼にも、なみだ――いくらお蓮さまでも、こいつは何も、べつに唾をつけたわけじゃアない。
女性というものは、ふしぎなもので、早く死んでくれればいいと願っていたお爺さんでも、とうとう今あの世へ出発するのかと思うと、不意と心底から、泪《なみだ》の一つぐらいこぼれるようにできているんです。
よろめきながら、峰丹波がはいってきた。
やっと意識をとり戻してまもないので、髪はほつれ、色|蒼《あお》ざめて、そうろうとしている。
「先生ッ!」
とピタリ手をついて、
「お心おきなく……あとは、拙者が引き受けました」
こんな大鼠《おおねずみ》に引き受けられては、たまったものじゃない。
すると、先生、ぱっと眼をあけて、
「おお、源三郎どのか。待っておったぞ」
と言った。丹波がぎょっとして、うしろを振り向くと、だれもいない。死に瀕した先生の幻影らしい。
「源三郎殿、萩乃と道場を頼む」
丹波、仕方がないから、
「はっ。必ずともにわたくしが……」
「萩乃、お蓮、手を――手をとってくれ」
これが最後の言葉でした。先生の臨終と聞いて、斬合いを引きあげてきた多くの弟子たちが、どやどやッと室内へ雪崩《なだれ》こんできた。
四
一人が室内から飛んできて、斬りあっている連中に、何かささやいてまわったかと思うと……。
一同、剣を引いて、あわただしく奥の病間のほうへ駈けこんでいった後。
急に相手方がいなくなったので、左膳と源三郎は、狐につままれたような顔を見あわせ、
「なんだ、どうしたのだ――」
「知らぬ。家の中に、なにごとか起こったとみえる」
「烏《からす》の子が巣へ逃げこむように飛んで行きおった、ははははは」
「はっはっはっ、なにが何やら、わけがわからぬ」
ふたりは、腹をゆすって笑いあったが、左膳はふと真顔にかえって、
「わけがわからぬといえば、おれたちのやり口も、じぶんながら、サッパリわけがわからぬ。おれとおめえは、今夜はじめて会って、いきなり斬り結び、またすぐ味方となり、力をあわせて、この道場の者と渡り合った……とまれ、世の中のことは、すべてかような出たらめでよいのかも知れぬな、アハハハハ」
「邪魔者が去った、いま一手まいろうか」
闇の中で、あお白く笑った源三郎へ、丹下左膳は懶《ものう》げに手を振り、
「うむ、イヤ、また後日の勝負といたそう。おらアお前《めえ》をブッタ斬るには、もう一歩工夫が肝腎だ」
「いや、拙者も、尊公のごとき玄妙不可思議《げんみょうふかしぎ》な手筋の仁《じん》に、出会ったことはござらぬ。テ、テ、天下は広しとつくづく思い申した」
濡れ燕を鞘におさめた左膳と、峰丹波の刀を草に捨てて、もとの丸腰の植木屋に戻った柳生源三郎と――名人、名人を
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