は、誰に下命したものであろうの」
「さようですな。伊賀の柳生対馬あたりに――」
と、愚楽老人、将軍さまのお肩へ、せっせと湯をかけながら、答えました。
三
八代さまの世に、日光修繕の模様はどうかというと、御番所日記、有徳院御実記《うとくいんごじっき》などによれば……
小さな修営は、享保《きょうほう》十五年、この時の御修復検分としましては、お作事奉行《さくじぶぎょう》小菅因幡守《こすげいなばのかみ》、お大工頭《だいくがしら》近藤郷左衛門《こんどうきょうざえもん》、大棟梁《だいとうりょう》平内《ひらうち》七|郎右衛門《ろうえもん》、寛保三年、同四年、奉行《ぶぎょう》曾我日向守《そがひゅうがのかみ》、お畳奉行《たたみぶぎょう》別所播磨守《べっしょはりまのかみ》、くだって延享《えんきょう》元年――と、なかなかやかましいものであります。
が、これらは、中途の小手入れ。
例の二十年目の大げさなやつは、先代|有章院《ゆうしょういん》七代|家継公《いえつぐこう》のときから数えて二十年めにあたる享保十六年|辛亥《かのとい》……この時の造営奉行、柳生対馬守とチャンと出ている。
前へ
次へ
全542ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング