振り返ると、うしろが深編笠の浪人で、
「身どもが押しておるのではない。ずっと向うから、何人も通して押してまいるのだ」
 こりゃあ理屈だ。怖い相手だから、
「へえ。なんとも相すみません」
 威張ったほうが、あやまっている。
 中には、纏《まと》い持ちが火事の屋根へ上がるように、身体じゅうに水をふりかけてやってきて、
「アイ、御免よ、ごめんよ。濡れても知らないよ」
 とばかり、群衆を動揺させて、都合のいい場所へおさまるという、頭のいいやつもある。
「押さないでくださいっ! 赤んぼが潰れますっ!」
 と子供をさしあげたおかみさんの悲鳴――。
「餓鬼なんざ、また生めあいいじゃアねえか。資本《もと》はかからねえんだ。なんならおいらが頼まれてもいいや」
 江戸の群衆は乱暴です。
「もう一度腹へけえしちめえっ!」
 カンガルーとまちがえてる。若い町娘にはさまれた男は、
「なに、かまいません。いくらでも押してくだせえ」
 と、幸福なサンドイッチという顔。

       三

 ハリウッドの女優さんなんかは、署名《サイン》係というのを何人か雇っていて、ブロマイドにサインをしてファンへ送っているそうです
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