右《みぎ》御意之趣《ぎょいのおもむき》


       一

 山里の空気は、真夏でも、どこかひやりとしたものを包んで、お陣屋の奥ふかく、お庭さきの蝉《せみ》しぐれが、ミーンと耳にしみわたっていた。
 柳生対馬守は、源三郎の兄ですが、色のあさ黒い、筋骨たくましい三十そこそこの人物で、だれの眼にも兄弟とは見えない。
 二万三千石の小禄ながら、剣をとっては柳生の嫡流、代々この柳生の庄の盆地に蟠踞《ばんきょ》して、家臣は片っぱしから音に聞こえた剣客ぞろい……貧乏だが腕ッぷしでは、断然天下をおさえていました。
 半死半生のてい、おおぜいの若侍にかつがれて、即刻、鉢巻のまま主君のお居間へ許された田丸主水正、まだ早駕籠に揺られている気とみえて、しきりに、眼のまえにたれる布につかまる手つきをしながら、
「オイッ! 鞠子《まりこ》までいくらでまいるっ? なに、府中《ふちゅう》より鞠子へ一里半四十七文とな?」
「シッ! 田丸殿、御前《ごぜん》でござる。御前でござる――」
「いや苦しゅうない」
 対馬守は、微笑して、
「其方《そち》らも早駕籠に乗ってみい。主水正は、まだ血反吐《ちへど》を吐かぬだけよ
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