家に生まれたってだけのことで、なんの働きもねえ野郎が、大威張りでかってな真似をしてやがる。下を見りゃあ……下はねえや。下は、あたいや、羅宇屋《らうや》の作爺《さくじい》さんや、お美夜《みや》ちゃんがとまりだい。わるいこともしたくなろうじゃアねえか」
「作爺とは、何ものか」
「竜泉寺《りゅうせんじ》のとんがり長屋で、あたいの隣家《となり》にいる人だよ」
「お美夜と申すは?」
「作爺さんのむすめで、あたいの情婦だよ」

       二

「情婦だと?」
 さすがの左膳も、笑いだして、
「そのお美夜ちゃんてえのは、いくつだ?」
「あたいと同い年だよ。ううん、ひとつ下かも知れない」
「あきれけえった小僧だな」
「なぜ? 人間自然の道じゃアねえか」
 今度は左膳、ニコリともしないで、
「おめえ、親アねえか」
 ちょっと淋しそうに、くちびるを噛んだチョビ安は、すぐ横をむいて、はきだすように、
「自慢じゃアねえが、ねえや、そんなもの」
「といって、木の股から生まれたわけでもあるまい」
「コウ、お侍さん、理に合わねえこたア言いっこなしにしようじゃねえか。きまってらあな。そりゃあ、あたいだってね、おふくろのぽんぽんから生まれたのさ」
「いやな餓鬼だな。その母親《おふくろ》や、父《ちゃん》はどうした」
「お侍さんも、またそれをきいて、あたいを泣かせるのかい」
 とチョビ安、ちいさな手の甲でぐいと鼻をこすって、しばらく黙したが、やがて、特有のませた口調で話し出したところによると……。
 このチョビ安――名も何もわからない。ただのチョビ安。
 伊賀の国柳生の里の生れだとだけは、おさな心にぼんやり聞き知っているが、両親は何者か、生きているのか、死んだのか、それさえ皆目《かいもく》知れない。どうして、こうして江戸に来ているのか……。
「それもあたいは知らないんだよ。ただ、あたいは、いつからともなく江戸にいるんだい」
 とチョビ安は、あまりにも簡単な身の上ばなしを結んで、思い出したようにニコニコし、
「でも、あたいちっとも寂しくないよ。作爺ちゃんが親切にしてくれるし、お美夜ちゃんってものがあるもの。お美夜ちゃんはそりゃあ綺麗で、あたいのことを兄《にい》ちゃん兄ちゃんっていうよ。早く大きくなって夫婦《めおと》になりてえなあ」
 いいほうの左の眼をつぶって、じっと聞いていた左膳、何やらしんみりと、
「それでチョビ安、おめえ、親に会いたかアねえのか」
「会いたかねえや」
「ほんとに、会いたくねえのか」
 すると、たまりかねたチョビ安、いきなり大声に泣き出して、
「会いてえや! べらぼうに会いてえや! そいで毎日、こうして江戸じゅう探し歩いてるんだい」

       三

「そうなくちゃあならねえところだ」
 と左膳は、見えない眼に、どうやら涙を持っているようす。
 そっとチョビ安をのぞき見やって、いつになくしみじみした声だ。
「だがなあ、親を探すといって、何を手がかりにさがしているのだ」
 チョビ安は、オイオイ泣いている。
「おっ母《かあ》に会いてえ、父《ちゃん》にあいてえ。うん? 手がかりなんか何もないけど、あたい、一生けんめいになれば、一生のうちいつかは会えるよねえ、乞食のお侍さん」
「そうだとも、そんなかあいいおめえを棄てるにゃア、親のほうにも、よほどのわけがあるに相違ねえ。親もお前《めえ》を探してるだろう。武士《さむらい》か」
「知らねえ」
「町人か、百姓か」
「なんだか知らねえんだ」
「こころ細い話だなあ」
「作爺ちゃんも、お美夜ちゃんも、いつもそういうんだよ」
 と洟《はな》をすすりあげたチョビ安、そのまま筵をはぐって河原へ出たかと思うと、大声にうたい出した。澄んだ、愛《あい》くるしい声だ。
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「むこうの辻のお地蔵さん
涎《よだれ》くり進上、お饅頭《まんじゅう》進上
ちょいときくから教えておくれ、
あたいの父《ちゃん》はどこ行った
あたいのお母《ふくろ》どこにいる
ええじれったいお地蔵さん
石では口がきけないね――」
[#ここで字下げ終わり]
 それを聞く左膳、ぐっと咽喉を詰まらせて、
「おウ、チョビ安」
 と呼びこんだ。
「どうだ、父《ちゃん》が見つかるまで、おれがおめえの父親になっていてやろうか」
 チョビ安は円《つぶら》な眼を見張って、
「ほんとかい、乞食のお侍さん」
「ほんとだとも、だが、そういちいち、乞食のお侍さんと、乞食をつけるにはおよばぬ。これからは、父上と呼べ。眼をかけてつかわそう」
「ありがてえなあ。あたいも一眼見た時から、乞食の……じゃアねえ、お侍さんが好きだったんだよ。うそでも、父《ちゃん》とよべる人ができたんだもの。こんなうれしいこたあねえや。あたい、もうどこへも行かないよ」
「うむ、どこへも行くな。
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