、峰丹波がはいってきた。
やっと意識をとり戻してまもないので、髪はほつれ、色|蒼《あお》ざめて、そうろうとしている。
「先生ッ!」
とピタリ手をついて、
「お心おきなく……あとは、拙者が引き受けました」
こんな大鼠《おおねずみ》に引き受けられては、たまったものじゃない。
すると、先生、ぱっと眼をあけて、
「おお、源三郎どのか。待っておったぞ」
と言った。丹波がぎょっとして、うしろを振り向くと、だれもいない。死に瀕した先生の幻影らしい。
「源三郎殿、萩乃と道場を頼む」
丹波、仕方がないから、
「はっ。必ずともにわたくしが……」
「萩乃、お蓮、手を――手をとってくれ」
これが最後の言葉でした。先生の臨終と聞いて、斬合いを引きあげてきた多くの弟子たちが、どやどやッと室内へ雪崩《なだれ》こんできた。
四
一人が室内から飛んできて、斬りあっている連中に、何かささやいてまわったかと思うと……。
一同、剣を引いて、あわただしく奥の病間のほうへ駈けこんでいった後。
急に相手方がいなくなったので、左膳と源三郎は、狐につままれたような顔を見あわせ、
「なんだ、どうしたのだ――」
「知らぬ。家の中に、なにごとか起こったとみえる」
「烏《からす》の子が巣へ逃げこむように飛んで行きおった、ははははは」
「はっはっはっ、なにが何やら、わけがわからぬ」
ふたりは、腹をゆすって笑いあったが、左膳はふと真顔にかえって、
「わけがわからぬといえば、おれたちのやり口も、じぶんながら、サッパリわけがわからぬ。おれとおめえは、今夜はじめて会って、いきなり斬り結び、またすぐ味方となり、力をあわせて、この道場の者と渡り合った……とまれ、世の中のことは、すべてかような出たらめでよいのかも知れぬな、アハハハハ」
「邪魔者が去った、いま一手まいろうか」
闇の中で、あお白く笑った源三郎へ、丹下左膳は懶《ものう》げに手を振り、
「うむ、イヤ、また後日の勝負といたそう。おらアお前《めえ》をブッタ斬るには、もう一歩工夫が肝腎だ」
「いや、拙者も、尊公のごとき玄妙不可思議《げんみょうふかしぎ》な手筋の仁《じん》に、出会ったことはござらぬ。テ、テ、天下は広しとつくづく思い申した」
濡れ燕を鞘におさめた左膳と、峰丹波の刀を草に捨てて、もとの丸腰の植木屋に戻った柳生源三郎と――名人、名人を
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