き、思うさま人の斬れるおもしれえこたアねえかとおっしゃいましたね。イヤ、その人斬り騒動が持ちあがったんだ。ちょっと来ておくんなさい。左膳さまでなくちゃア納まりがつかねえ。相手は伊賀の暴れン坊、柳生源三郎……」
六
「何イ? 伊賀の柳生……?」
突ったった左膳、急にあわてて、頬《ほお》の刀痕をピクピクさせながら、チョビ安をかえり見、
「刀を――刀を取れ」
と、枯れ枝の刀架けを指さした。
そこに掛かっている破れ鞘……鞘は、見る影もないが、中味は相模大進坊《さがみだいしんぼう》、濡《ぬ》れ燕《つばめ》の名ある名刀だ。
濡れ紙を一まい空にほうり投げて、見事にふたつに斬る。その切った紙の先が、燕の尾のように二つにわかれるところから、濡れつばめ――。
左膳はもう、ゾクゾクする愉快さがこみあげて来るらしく、濡れ燕の下げ緒を口にくわえて、片手で衣紋《えもん》をつくろった。
「相手は?」
「司馬道場の峰丹波さまで」
「場所は?」
「本郷の道場で、ヘエ」
「おもしろいな。ひさしぶりの血のにおい……」
と左膳、あたまで筵を押して、夜空の下へ出ながら、
「安! 淋しがるでないぞ」
「父上、人の喧嘩に飛びこんでいって、怪我をしちゃアつまんないよ」
と、チョビ安は、こけ猿の壺を納《しま》いこんで、
「もっとも、それ以上怪我のしようもあるめえがネ」
と言った。
チョビ安が左膳を父上と呼ぶのを聞いて、与吉は眼をパチクリさせている。左膳はもう与吉をしたがえて、河原から橋の袂へあがっていた。
こけ猿の壺は、開かれようとして、また開かれなかった。まだ誰もこの壺のふたをとって、内部《なか》[#ルビの「なか」は底本では「なな」]を見たものはないのである。
気が気でない与吉は、辻待ちの駕籠に左膳を押しこんで、自分はわきを走りながら、まっしぐらに本郷へ……。
仔細も知らずに、血闘の真っただなかへとびこんでいく左膳、やっと生き甲斐を見つけたような顔を、駕籠からのぞかせて、
「明るい晩だなあ。おお、降るような星だ――おれあいってえどっちへ加勢するんだ」
駕籠|舁《か》きども、ホウ! ホウ! と夜道を飛びながら、気味のわるい客だと思っている。
道場へ着いて裏木戸へまわってみると……驚いた。
シインとしている。源三郎は石に腰かけ、四、五間離れて、丹波が一刀を青眼に構えて、
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