前の絡み口調になって、
「あんまりひでえじゃあござんせんか。あっしゃアこのお裁きには、承服できねえ」
「なんだと?」
 左膳の顔面筋肉がピクピクうごいて、左手が、そっと、うしろの枯れ枝の刀かけへ……。
「もう一ぺん吐かしてみろ!」
「ま、待ってください。ナ、何もそんなに――」
 ぐっと左膳の手が、大刀へ伸びた瞬間、これはいけないと見た与の公、
「おぼえてやがれっ!」
 と、チョビ安へひとこと置き捨てて、その蒲鉾《かまぼこ》小屋を跳び出した。

   親《おや》なし千鳥《ちどり》


       一

 いくら大名物《おおめいぶつ》のこけ猿でも、いのちには換えられない……と、与吉が、ころがるように逃げて行ったあと。
 朝からもう何日もたったような気のする、退屈するほど長い夏の日も、ようやく西に沈みかけて、ばったり風の死んだ夕方。
 江戸ぜんたいが黄色く蒸《む》れて、ムッとする暑さだ。
 だが、橋の下は別世界――河原には涼風が立って、わりに凌《しの》ぎよい。
 ゲゲッ! と咽喉の奥で蛙《かわず》が鳴くような、一風変わった笑いを笑った丹下左膳。
「小僧、チョビ安とか申したナ。前へ出ろ」
「あい」
 と答えたが、チョビ安、かあいい顔に、用心の眼をきらめかせて、
「だが、うっかり前へ出られないよ。幸い求めしこれなる一刀斬れ味試さんと存ぜしやさき、デデン……なんて、すげえなア。嫌だ、いやだ」
 左膳は苦笑して、
「おめえ、おとなか子供かわからねえ口をきくなあ」
「口だけ、おいらより十年ほどさきに生まれたんだとさ」
「そうだろう」左膳は、左手で胸をくつろげて、河風を入れながら、
「誰も小僧を斬ろうたア言わねえ。ササ、もそっとこっちへ来い。年齢《とし》はいくつだ」
 チョビ安は、裾をうしろへ撥《は》ね、キチンとならべた小さな膝頭へ両手をついて、
「あててみな」
「九つか。十か」
「ウンニャ、八つだい」
「いつから悪いことをするようになった」
「おい、おい、おさむれえさん。人聞きのわりいことは言いっこなし!」
「だが、貴様、置き引きが稼業《しょうべえ》だというじゃあねえか」
「よしんば置きびきは悪いことにしても、何もおいらがするんじゃアねえ。みんな世間がさせるんだい」
「フン、容易ならねえことを吐かす小僧だな」
「だって、そうじゃアねえか。上を見りゃあ限《き》りがねえ。大名や金持の
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