よいよ壺を取り出す。
古色蒼然たる錦のふくろに包んである。それを取ると、すがり[#「すがり」に傍点]といって、赤い絹紐の網が壺にかかっております。
その網の口をゆるめ、奉書の紙を幾重にも貼り固めた茶壺のふたへ、与吉の手がかかったとき、その時までジッと見ていたところ天売りの子供、みずから名乗ってチョビ安が、
「小父《おじ》ちゃん、ところ天が冷《さ》めちゃうよ」
洒落《しゃれ》たことをいって、皿をつき出した。
「まア、待ちねえってことよ。それどころじゃアねえや」
与吉がそう言って、チラと眼を上げると、あ! いけない! 折りしも、佐竹様の塀について、この横町へはいってくる一団の武士のすがた! 安積玄心斎《あさかげんしんさい》の白髪をいただいた赭《あか》ら顔を先頭に……。
三
それと見るより、与吉、顔色を変えた。この連中にとっ掴まっちゃア、たまらない。たちまち、小意気な江戸ッ児のお刺身ができあがっちまう。
「うわあっ!」
と、とびあがったものです。
むこうでも、すぐ与吉に気がついた。気の荒いなかでも気のあらい脇本門之丞《わきもともんのじょう》、谷大八《たにだいはち》なんかという先生方が、
「オ! おった! あそこにおる!」
「やっ! 与吉め、おのれっ!」
「ソレっ! おのおの方ッ!」
「天道われに与《くみ》せしか――」
古風なことを言う人もある。ドッ! と一度に、砂ほこりをまきあげて、追いかけてきますから、与吉の野郎、泡をくらった。
もう、ところてんどころではありません。
「おウ、チョビ安といったな。此壺《こいつ》をちょっくら預かってくんねえ。あの侍《さんぴん》たちに見つからねえようにナ、おらア、ぐるッとそこらを一まわりして、すぐ受けとりに来るからな」
と、見えないように、箱ごと壺を、ところ天屋の小僧のうしろへ押しこむより早く、与の公、お尻に帆あげて、パッと駈け出した。
いったい、このつづみの与吉ってえ人物は、ほかに何も取得《とりえ》はないんですが、逃げ足にかけちゃア天下無敵、おっそろしく早いんです。
今にもうしろから、世に名だたる柳生の一刀が、ズンと肩口へ伸びて来やしないか。一太刀受けたら最後、あっというまに三まいにおろされちまう……と思うから、この時の与吉の駈けっぷりは、早かった。
まるで踵《かかと》に火がついたよう――背後《
前へ
次へ
全271ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング