でないぞ! 中をあらためてはならぬぞ! こういう峰丹波の固い命令《いいつけ》だったので、それで与吉、今まであの高麗屋敷の櫛まきお藤の家で、この茶壺と寝起きしていた何日かのあいだも、見たいこころをジッとおさえて、我慢してきたのだが……。
 これから妻恋坂の道場へ納めてしまえば、もう二度と見る機会はなくなる。
 見るなと言われると、妙に見たいのが人情で、
「ナアニ、ちょっとぐれえ見る分にゃア、さしつけえあるめえ。第一、おいらが持ち出した物じゃアねえか」
 与の公、妙な理屈をつけて、あたりを見まわした。

       二

 浅草の駒形を出まして、あれから下谷を突っ切って本郷へまいる途中、ちょうど三味線堀《さみせんぼり》へさしかかっていました。
 松平|下総守様《しもうさのかみさま》のお下屋敷を左に見て、韓軫橋《かんしんばし》をわたると、右手が佐竹右京太夫《さたけうきょうだゆう》のお上屋敷……鬱蒼《うっそう》たる植えこみをのぞかせた海鼠塀《なまこべい》がずうっとつづいていて、片側は、御徒組《おかちぐみ》の長屋の影が、墨をひいたように黒く道路に落ちている。
 夏のことですから、その佐竹さまの塀の下に、ところ天の荷がおりていて、みがきぬいた真鍮《しんちゅう》のたがをはめた小桶をそばに、九つか十ばかりの小僧がひとり、ぼんやりしゃがんで、
「ところてんや、てんやア……」
 と、睡そうな声で呼んでいる。大きな椎の木が枝をはり出していて、ちょっと涼しい樹蔭をつくっている。
 近処のおやしきの折助がふたり、その路ばたにしゃがみこんで、ツルツルッとところ天を流しこんで立ち去るのを見すますと、与吉のやつ、よしゃアいいのに、
「おう、兄《あん》ちゃん、おいらにも一ぺえくんな。酢をきかしてナ」
 と、その桶《おけ》のそばへうずくまった。
「へえい! 江戸名物はチョビ安《やす》のところ天――盛りのいいのが身上だい」
 ところ天やの小僧、ませた口をきくんで。
「こちとら、かけ酢の味を買ってもらうんだい。ところ天は、おまけだよ」
「おめえ、チョビ安ってのか。おもしれえあんちゃんだな。ま、なんでもいいや。早えとこ一ぺえ突き出してくんねえ」
 言いながら、与の公、手のつつみを地面《した》へおろして、鬱金《うこん》のふろしきをといた。出てきたのは、時代がついて黒く光っている桐の箱だ。そのふたを取って、い
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