》のさくら。秋は、あれ見やしゃんせ海晏寺《かいあんじ》のもみじ……江戸の咽喉《のど》しながわに、この真夜中、ときならぬ提灯の灯が点々と飛んで、さながら、夏は蛍の名所といいたい景色――。

   上様《うえさま》お風呂《ふろ》

 槙《まき》の湯船の香が、プンとにおう。この風呂桶は、毎日あたらしいのと換えたもので……。
 八畳の高麗縁《こうらいぶち》につづいて、八畳のお板の間、壁いっぱいに平蒔絵《ひらまきえ》をほどこした、お湯殿である。千代田のお城の奥ふかく、いま、八代|吉宗公《よしむねこう》がお風呂を召していらっしゃる。
 ふしぎなことには、将軍さまでも、お湯へおはいりのときは裸になったものです。
 余談ですが、馬関《ばかん》の春帆楼《しゅんぱんろう》かどこかで、伊藤博文公がお湯へはいった。そのとき、流しに出た者が、伊藤さんが手拭で、前をシッカとおさえているのを見て、あの伊藤さんてえ人は下賤の生れだといったという。高貴の生れの方は、肉体を恥じないものだそうです。
 今この、征夷大将軍源氏の長者、淳和奨学両院別当《じゅんなしょうがくりょういんべっとう》、後に号《ごう》して有徳院殿といった吉宗公も、こうしてはだかで御入浴のところは、熊公《くまこう》八|公《こう》とおなじ作りの人間だが、ただ、濡れ手拭を四つに畳んであたまへのせて、羽目板を背負って、「今ごろは半七さん……」なんかと、女湯に聞かせようの一心で、近所迷惑な声を出したり――そんなことはなさらない。
 御紋《ごもん》散らしの塗り桶を前に、流し場の金蒔絵の腰かけに、端然《たんぜん》と控えておいでです。
 五本骨の扇、三百の侯伯をガッシとおさえ、三つ葉|葵《あおい》の金紋六十余州に輝いた、八代吉宗といえば徳川も盛りの絶頂。
 深閑とした大奥。
 松をわたってくる微風《かぜ》が、お湯どのの高窓から吹きこんで、あたたかい霧のような湯気が、揺れる。
 吉宗公は、しばらく口のなかで、なにか謡曲の一節をくちずさんでいたが、やがて、
「愚楽《ぐらく》! 愚楽爺《ぐらくじい》はおらぬか。流せ」
 とおっしゃった。
 お声に応じて、横手の、唐子《からこ》が戯《たわむ》れている狩野派《かのうは》の図《ず》をえがいた塗り扉をあけて、ひょっくりあらわれた人物を見ると、……誰だってちょっとびっくりするだろう。
 これが、いま呼んだ愚楽老人なの
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