初めて……」
「弥生様。道場には先生の御遺骸もありますぞ」
「ええ……この部屋で、父はどんなに嬉しそうににっこりしてあの貼り紙を書きましたことか――」
「――それも、余儀ありませぬ」
「栄三郎さまッ! あ、あんまりですッ!」
わッ! と弥生が泣き伏した時、廊下を踏み鳴らしてくる多門の跫音《あしおと》がした。
おののく白い項《うなじ》をひややかに見やって栄三郎は坤竜丸を取りあげた。
「では、この刀は私がお預かりいたします。竜は雲を招き、雲は竜を待つ、江戸広しといえども、近いうちに坤竜丸と丹下の首をお眼にかけましょう――」
こうして、戦国の昔を思わせる陣太刀作《じんだちづく》りの脇差が、普通の黒鞘《くろざや》武蔵太郎安国と奇妙な一対をなして、この夜から諏訪栄三郎の腰間《こし》に納まることとなった。
化物屋敷《ばけものやしき》
うすあばたの顔に切れの長い眼をとろんとさせて、倒した脇息《きょうそく》を枕に、鈴川源十郎はほろ酔いに寝ころんでいる。
年齢は三十七、八。五百石の殿様だが、道楽旗本だから髪も大髻《おおたぶさ》ではなく、小髷《こまげ》で、鬢《びん》がうすいので、ちょっ
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