とが、湯気《ゆげ》をとおして見るようにぼんやりながらおさよの頭にもわかっていた。
 ところが今、源十郎はお艶の一生を所望している! おめかけとはいえ、終身奉公ならば奥方同然で老いさきの短い母の自分も何一つ不自由なく往《ゆ》くところへ行けようというもの。それに、お艶の素性《すじょう》が知れて武家出とわかれば、おもてだって届けもできれば披露《ひろう》もあろう。
 そうなれば、かわいいお艶の出世とともに、自分はとりもなおさず五百石の楽隠居!――と欺《だま》されやすいおさよは、頭から源十郎のでたらめを真に受けて、ここは一つ栄三郎への手切れのつもりで、何よりもそのほしがっている一刀を、追って殿様の源十郎に頼んで、左膳から奪って下げ渡してもらおう……おさよはさっそくこう考えた。
 母の庇護《ひご》があればこそ、これまで化物屋敷に無事でいたお艶! その母の気が変わって、今後どうして栄三郎へ操《みさお》を立て通し得よう?
 人身御供《ひとみごくう》の白羽の矢……それはじつに目下のお艶のうえにあった。
 が、源十郎よくおさよの乞いをいれて、左膳と乾雲丸《けんうんまる》とを引き離すであろうか。
 ――思案に沈んでおさよが、耳のそばに、
「お藤が、おれに加担《かたん》してお艶をかどわかしたために、刀をうばいそこねたといってな、左膳め、先日から猛《たけ》りたっておるのだから、そのつもりで年寄り役にとりしずめてくれ」
 という源十郎の声でわれに返ると、膝までの草を分けていつのまにかもう離室《はなれ》のまえ。
 カッ! とただよう殺気をついて左膳の罵声がする。
「うぬッ! 誰に頼まれてじゃまだてしやがった? いわねえか、この野郎ッ……!」
 つづいて、ぴしり! と鞭でも食わす音。
「ほほほほ、お気の毒さま! 野郎はとんだお門《かど》ちがいでしたねえ」
櫛まきお藤はすっかりくさっているらしい。
「やいッ! 汝《うぬ》あいってえなんだって人の仕事に茶々《ちゃちゃ》を入れるんだ? こらッ、こいつッウ!……てッ、てめえのおかげで、奪《と》れる刀もとれなかったじゃねえかッ! な、なんとか音を立てろいッ音を!」
「ほほほ、音を立てろ――だと! 八丁堀《はっちょうぼり》もどきだね」
「なにいッ!」
 咆吼《ほうこう》する左膳、棕櫚《しゅろ》ぼうきのような髪が頬の刀痕にかぶさるのを、頭を振ってゆすりあげながら
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