。三次はたたみかけた。
「相棒は誰だ。出場はどこだ。」
辰は無言だった。三次はかっ[#「かっ」に傍点]として、この野郎っ、直《ちょく》に申上げねえかっ、と呶鳴ろうとしたが、何思ったかにこり[#「にこり」に傍点]と笑って、
「辰さんや、何をしても商売だ。のう、駕籠かきだとて恥じる節はねえわさ。まあま、男は身の動くうちが花だってことよ。精々稼ぎなせえ。」
と言ったなり、頭を下げている辰公を残してぶらり[#「ぶらり」に傍点]とその家を出たのだった。
「ふうん、こりゃあちょっと大物だぞ――。」
生酔いのように道路《みち》の真中を一文字に、見れども見えず聞けども聞かざるごとく、思案にわれを忘れて花川戸《はなかわど》の自宅に帰り着いた早耳三次は、呆れる女房を叱りとばして昼の内から酒にして、炬燵《こたつ》に横になるが早いか、そのまま馬のように高鼾をかいて睡ってしまった。
四
音も月も凍《い》てついた深夜の衢《まち》、湯島切通しの坂を掛声もなく上って行く四手駕籠一梃、見えがくれに後を慕って黒い影が尾《つ》けていた。
蜻蛉の辰が饂飩屋なぞと嘘を言って人にかくれて駕籠を担いでいる夜の稼ぎを怪しいと見た早耳三次が、半日ぐっすり[#「ぐっすり」に傍点]寝込んで気を養い、暮るに早い冬の陽が上野の山に落ちたころ、腹掛法被《はらがけはっぴ》に※[#「ころもへん+昆」、172−下−14]襠《ぱっち》という鳶《とび》まがいの忍び装束で茶屋町近くに張込んでいるとこれも身軽に扮《つく》った蜻蛉の辰が人目を憚るように出て来て、東仲町を突き当った誓願寺の裏へ抜けた。あの辺いったいは東光院《とうこういん》称往院《しょうおういん》天岳院《てんがくいん》、左右が海全寺に日林寺、そのまたうしろは幸竜寺《こうりゅうじ》万祷寺《ばんとうじ》知光院《ちこういん》などとやたらに寺が多かった。辰が天岳院前の樹下闇《このしたやみ》に立停まると、そこに男が一人駕籠を下ろして待っていた。三次が遠くから透かし見たところでは、痩形《やせがた》の、身長《せい》の高い若い駕籠屋であった。二人は別に挨拶もせずに、そのまま駕籠を上げて安部川町の方へ辻待に出向いて行った。空駕籠の揺れぐあいから後棒の辰はもちろん、先棒の男もまだ腰ができていないのを、三次は背後《うしろ》から見ながら随いて行った。お書院組《しょいんぐみ》の
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