下げ]
合爾合《カルカ》姫 (ぐっと胸に決して)今の話では、城門へ石を運ぶとのこと、女だとて働かねばなりませぬ。お前たちも、二人で石の一つぐらいは持てるであろう。ここは構わぬから、お手伝いに行くがよい。
侍女一二 でも、この恐しげな男と、奥方様を置きざりにして――。
合爾合《カルカ》姫 いや、大事ない。ここより表門の備えが肝心です。早くあちらへ!
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侍女たちは心を残しつつ、合点《うなず》き合って兵士らの後を追い、露台上手へ馳せ入る。
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合爾合《カルカ》姫 (長い間。じっと木華里《ムカリ》を凝視《みつ》めて)あれ、もう月の出に間がありません。今にも一気に攻め入って来たら――(じっと考え、うむ[#「うむ」に傍点]と決心して、懐剣を取り出してきらりと抜く。足早やに木華里《ムカリ》に近づき、一突き、と見えたが、意外にも、ぱらりと縛めを切って落す)さ、この隙に早く逃げて、追っつけ後から合爾合《カルカ》がまいりますと、成吉思汗《ジンギスカン》さまにお伝え下さい。
木華里《ムカリ》 (驚いて立ち上り)奥方、私を逃がして下さるのですか。
合爾合《カルカ》姫 わたしは決心いたしました。いかに殿様がああおっしゃって下さればとて、あの泣き叫ぶ城下の人々、先の短い老人や愛《あどけな》い女子供を、どうして、城とともに見殺しにすることができましょうか。憎んでもあまりある成吉思汗《ジンギスカン》ですけれど、女の身で役に立つのは、せめてそれくらいのこと――言うなりに後からすぐ城を脱け出て、はい、まいります。あの人の陣屋へ、まいります! あなたは一足先に駈け帰って、どうぞ、そう復命して下さい。そして、総攻撃をお止め下さい。(身も世もなく泣きつつ急き立てる)
木華里《ムカリ》 それでは、合爾合《カルカ》姫、たしかにわが大将の陣営へ、一人でおいでになるのですな。うむ、お待ち申しておりますぞ。
合爾合《カルカ》姫 念には及びませぬ。わたしはもう覚悟を――そう言う間も気が急きます。あの台察児《タイチャル》さまが上って来ないうちに、早く! 早くお逃げ下さい。
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と薄暗い中に木華里《ムカリ》をさし招き、下手の小さな戸口《ドア》から出しやる。
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合爾合《カルカ》姫 この石段をまっすぐ下りて、突き当りの廊下を左へ出れば、城の横手の草原へ抜けられます。そこらは城兵も尠いはず、さ、一刻も早く――。
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木華里《ムカリ》は一礼して走り下りる。合爾合《カルカ》姫は独り頷首いて、おのが居間に通ずる上手の扉へ駈け入る。しばらく舞台空く。油の煮える煙り一度に上がる。群集の悲鳴凄まじく響く。すぐにその同じ上手の戸口から、妃の盛装の上に大きな鹿の皮を被った合爾合《カルカ》姫が、そっと一人忍び出て来る。舞台中央に立ち停まり、ひそかにふところから懐剣を取り出して引き抜き、じっと見入る。
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合爾合《カルカ》姫 (独語)この札荅蘭《ジャダラン》族へ輿入れする時、父の瑣児肝失喇《ソルカンシラ》から渡されたこの守り刀が、こんな役に立とうとは思わなかった。もし成吉思汗《ジンギスカン》が無礼を働いたら、いっそ一思いにこの胸を――。(と自分の胸へ突き刺す仕草《しぐさ》)
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うなずきながら、鹿の皮を頭からかぶり、木華里《ムカリ》の去った下手の石段を駈け下りる。とたんに、露台上手より侍女二人、あわただしく走り出て、
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侍女一 おや! 奥方様はどこに? あら、あの軍使もいない――奥方さま、奥方様!
侍女二 ああ、奥方様のお身に、変り事がなければよいが――。
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二人そそくさと室内を捜し廻る。舞台刻々暗くなり、露台の外、月の出はいよいよ迫る。
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札木合《ジャムカ》の声 (近づいて来る)合爾合《カルカ》、合爾合《カルカ》! 合爾合《カルカ》はおらぬか。(幕)
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   第二幕 第一場

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城外。塔米児《タミイル》、斡児桓《オルコン》の両河の合する三角洲に設けられた、成吉思汗《ジンギスカン》の大|天幕《テント》の前。砂漠の広場。前の場と同じ時刻。
正面すこしく上手寄りに、成吉思汗《ジンギスカン》の天幕《ユルタ》、垂れを掛けたる出入口あり。哨兵二名、その左右に立ち、一人はたえずその前を往復して警護す。下手奥は、夜眼にも白き大河、彼岸
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