さらばです。降伏の貢物として、妃の合爾合《カルカ》姫を、今宵一夜、単身|成吉思汗《ジンギスカン》の陣屋へお遣しなさるよう。条件というのは、ただこの一つだ。
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円柱の陰で合爾合《カルカ》姫はひそかに驚く。
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札木合《ジャムカ》 (愕然と顔色を変えて)なに、奥を、合爾合《カルカ》姫を、今宵一夜、ただひとり成吉思汗《ジンギスカン》の許へよこせと?
台察児《タイチャル》 (気色ばんで)うむ! 嫂上《あねうえ》合爾合《カルカ》姫の、一夜の身体《からだ》が所望だというのだな。
木華里《ムカリ》 さようです。合爾合《カルカ》姫が、日没と同時にただ一人、成吉思汗《ジンギスカン》の陣営へ来ればよし、さもなければ、城も人も、木っ葉微塵に踏み躙るまでのことだ。札木合《ジャムカ》! 返答はどうだっ!
札木合《ジャムカ》 言うな、汚らわしい! かの成吉思汗《ジンギスカン》め、数年前に失った恋を、いま力ずくで遂げようというのだな。あれ以来、胸の底に燃えておった、わが妃合爾合《カルカ》への妄念を、この機会に霽らそうと言うのだな。
台察児《タイチャル》 成吉思汗《ジンギスカン》のやつ、蒙古第一の英雄との評判は、真っ赤な嘘だ。降伏の引出物に、敵将の妻を一夜貸せなどと、見下げ果てた犬侍だ。いや、女の肉に飢えた野獣《けだもの》だ! 兄上! もはやこの軍使と言葉を交す要はござりませぬ。札荅蘭《ジャダラン》族の運命は決まった。ひとり残らず、この地球の表面《おもて》から抹殺されるだけのことだ。
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避難民ら号叫する。合爾合《カルカ》は茫然と円柱のかげに立ったまま沈思する。
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札木合《ジャムカ》 弟! よく言ってくれた。ほかのことで部落民が助かるなら、おれは、武士の誇りも捨てて、開城しようかとも思ったが、あまりと言えばあまりの条件だ。これは余のこととは違う。(突然起ち上って、木華里《ムカリ》を白眼《にら》みつける)こらっ! 妻の身を犠牲に、一命一族を助けようなどと思う札木合《ジャムカ》ではないぞ。この札荅蘭《ジャダラン》の城中、おのが命と妃の操を交換しようなどと、さような心掛けの者は一人もおらぬ。馬鹿者めが! (と手許の飾り台の上の、唐獅子の香盒を引っ掴み、王座の下の床に叩きつけて微塵に砕く)
台察児《タイチャル》 畜生! こ、この軍使の奴、どうしてくれよう! そうだ。この牛のような首を撥ねて、砦から投げ下ろしてやれ。身体《からだ》は油炒《あぶらい》りにしてやるのだ。おい! 皆来い。中庭へ釜を持ち出して、油を煮る支度をするのだ。
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と軍卒らを促し、露台から上手へ駈け入る。札木合《ジャムカ》付きの参謀四五人と木華里《ムカリ》の看視兵二三を残して兵士一同、および官人ら続いて走り去る。避難民も驚いて、皆あとを追って露台から上手へはいる。
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木華里《ムカリ》 (泰然と)それならば、悪いことは言わぬ。早く油を沸かさぬと、今にも我軍この城中へ押し入って来るぞ、ははははは。あの砂漠の地平に、東の海の真珠のような月が昇るまでに、合爾合《カルカ》姫が城を抜け出ぬ場合には、条件を受け入れぬものと見て、一刻の猶予もなく攻め込む手筈になっているのだ。
札木合《ジャムカ》 (静かに)わしは成吉思汗《ジンギスカン》のために惜しむ。あれほどの豪傑も、恋のためには、市井《しせい》の匹夫のごとき手段をも辞せぬものか。憐れな迷執の虜だ。この合戦は、数年前の恋のたたかいの続きであったのだ。恋に勝って合爾合《カルカ》を得たわしは、この戦いにも勝ち抜くのだ。なんの! 合爾合《カルカ》を成吉思汗《ジンギスカン》の自由にさせてたまるものか。(木華里《ムカリ》へ)飛んで火に入る夏の虫とは、貴様のことだ。地獄の迎えを待て!
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言い捨てて、露台へ出ようとすると、合爾合《カルカ》姫が侍女二三を従えて円柱の陰から現れる。
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合爾合《カルカ》姫 殿――! (泣き崩れる)
札木合《ジャムカ》 (支えて)おお、お前はそこにいたのか。して、今の話を聞いたのか。
合爾合《カルカ》姫 はい。残らず聞きましてございます。憎いのは、あの成吉思汗《ジンギスカン》です。大方あの時、あなた様と、妾を争いましてから、ずっとこの機会を狙っていたのでございましょう。偉い大将に出世したと聞きましたが、やっぱり、昔のがむしゃらな成吉思汗《ジンギスカン》! ああ、妾はいったいどうしたら――。(泣き入る
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