ううむ、さすがは名にし負う成吉思汗《ジンギスカン》の大軍。お! もう斡児桓《オルコン》河を渡ったな。
参謀一 あれあれ、先陣はすでに、塔米児《タミイル》の川岸まで進んでおります。
札木合《ジャムカ》 (小手をかざして)あの、成吉思汗《ジンギスカン》軍の先頭に立って進んで来る、あの四人の者は誰だ。
参謀二 あれこそは、成吉思汗《ジンギスカン》の配下にその人ありと聞えた、砂漠の四匹の猛犬、哲別《ジェベ》、木華里《ムカリ》、忽必来《クビライ》、速不台《スブタイ》の四天王にござります。黒豚の胴を輪切りにして、その生血を啜り合い、生死を誓った四人組の将軍です。
札木合《ジャムカ》 (どきっとして)して、あの第二陣に駒を進めて来るのは?
参謀三 あれは、亦魯該《イルガイ》、蒙力克《モンリク》の二将軍の率いる、進むを知って、退くを知らぬ荒鷲と称する騎兵軍団でござります。
札木合《ジャムカ》 (募り来る不安を隠し)なに、荒鷲だと?――それから、あの、それそれ、第三陣に、灰色の狼のごとく、砂煙りを上げて馬を駆って来るのは?
参謀四 はっ。あれぞ総大将|成吉思汗《ジンギスカン》の弟、合撒児《カッサル》でござります。武芸並ぶ者なく、ことに、強弓衆に優れ、矢面に立つもの必ず額を射抜かれると申すこと。人々彼を怖れて、蟒《うわばみ》と綽名《あだな》いたす強《ごう》の者です。
札木合《ジャムカ》 (遂に恐怖を押さえきれず)大海の捨て小舟のようなこの山寨だ。逃げようにも逃げられぬ。
台察児《タイチャル》 (足摺りして)ええい! 皆がみな敵を賞めくさりおって! 揃いも揃って臆病神に取り憑《つ》かれたか。兄上! もはやこれまでです。城を出て、塔米児《タミイル》の河畔に決戦いたしましょう。どうぞこの台察児《タイチャル》に、三百でも五百でも、ありったけの城兵をお貸し下さい。
札木合《ジャムカ》 (すっかり怖毛《おじけ》立って)いや、貪る鷹のような成吉思汗《ジンギスカン》軍のいきおいだ。成吉思汗《ジンギスカン》は、総身|銅《あかがね》のように鍛えられ、土踏まずや腋の下にさえ、針も通らぬというではないか。一睨みで、虎をさえ居竦《いすく》ませると言うではないか。(と恐怖に眼を覆い、たじろく)
[#ここから3字下げ]
砦の下から伝令一人、石垣をつたわって上ってくる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
伝令 申し上げます。成吉思汗《ジンギスカン》の包囲軍は、急遽行動を起しまして、一挙に城を陥れんとするもののごとく、挺身隊はすでに三本松の辻を過ぎ、銀砂の河原に現れました。
札木合《ジャムカ》 (蒼白になって)なに、もう銀砂の河原に――誰か城を駈け出て一騎打ちを挑み、巧名を立てる者はないか。
[#ここから3字下げ]
このころから、空に紺いろが流れ、暮色が漂ってくる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
伝令二 (あわただしく上って来て堡塁に顔を出し、下の戦場を指さして)我軍の斥候は、すっかり城門へ追い込まれてしまいました。あれあれ! 一の堀、二の堀もすでに敵の手に――。
札木合《ジャムカ》 (こわごわ覗いて)吊り橋を早く、三の吊橋を上げろ。
参謀一 もはやその暇もありませぬ。
台察児《タイチャル》 誰か行って、綱を切って橋を落してしまえ。
[#ここから3字下げ]
一本の矢飛び来って、札木合《ジャムカ》の鎧の袖を縫う。その矢には、白い馬の尾が結びつけてある。一同騒然と駈け寄る。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
札木合《ジャムカ》 (よろめきつつ矢を抜き取って)いや、傷つきはせぬ、おお! この矢には、白い馬の尾が結んであるぞ。これは何の意味だ。
台察児《タイチャル》 成吉思汗《ジンギスカン》の旗印しは、あれ、あのとおり、白馬の尾を竿の先に結びつけたものを、九本立てております。九は、成吉思汗《ジンギスカン》の陣中において、幸運の数とか。(考えて)ううむ、兄上! その矢は、降伏の勧告に相違ない。
札木合《ジャムカ》 なに、降伏の勧告? 誰が!――ええい――。
[#ここから3字下げ]
と矢を二つに折り、足許に投げつけて粉々に踏み砕く。片側の避難民一同、「負け軍に頑張るのは無意味だ。」「早く城を開け渡して、城下の私どもをお助け下さりませ。」などと狂乱して口々に喚き立てる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
台察児《タイチャル》 (避難民を睥睨し)騒ぐな、蛆虫《うじむし》ども! 兄上! 夜まで持ちこたえれば、なんとか計略も浮かびましょう。おい、誰か三の吊橋を落して来る者はないか。
[#ここから3字下げ]
これより先、伝令一は裸体になり、急ぎ軍服
前へ
次へ
全24ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング