おれが、指一本さすことができようか――。(間)あの抗愛山脈の肩に、ぽうっと暁の色が動き初めると同時に、おれの心にも、夜が明けた。おれは合爾合《カルカ》に負けた。札木合《ジャムカ》! 君は幸福な男だ。合爾合《カルカ》のような立派な女を妻に持っているとは、(こころの底から)おれはほんとうに羨ましいぞ。
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札木合《ジャムカ》と台察児《タイチャル》は、うなだれて聴き入っている。
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成吉思汗《ジンギスカン》 札木合《ジャムカ》! このまま行ってしまうことは、おれにはどうしてもできなかった。おれは、君の前に、こうして、手を突いて、心の底から謝罪《あやま》りに来たのだ。どうか、許してくれ。な、どうか許してくれ。
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札木合《ジャムカ》兄弟は、呆然と佇立している。
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成吉思汗《ジンギスカン》 (朗かに起ち上って)ああ、これでさっぱりした。身体中の汚れを洗い流したような気がする。(友達に対するように、無邪気に)では、札木合《ジャムカ》、乃蛮《ナイマン》をやっつけて、帰りにはきっと寄るよ。その時は、合爾合《カルカ》と二人揃って、おれをうんと御馳走してくれよ。きっとだよ。じゃ、さいならっ!
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少年のように、気軽に行こうとする。札木合《ジャムカ》の手から、ばたんと抜刀《ぬきみ》が落ちる。
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札木合《ジャムカ》 (喘いで)成吉思汗《ジンギスカン》! 待ってくれ!
成吉思汗《ジンギスカン》 何だ。何か用かい? (軽く引っ返して来る)
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札木合《ジャムカ》はたまらず駈け寄り、成吉思汗《ジンギスカン》の腕を握り、涙の無言で屍骸の傍へ引っ張ってくる。そして、手早く、死体を隠してある屏風を除《と》る。旗で覆った合爾合《カルカ》姫の屍が現れる。
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札木合《ジャムカ》 成吉思汗《ジンギスカン》! 見てやってくれ!
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成吉思汗《ジンギスカン》は跪《ひざまず》いて、静かに旗を取る。愕く。
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