から、この式部小路と、金剛寺坂と拝領町屋をつないで、うごく推移に、眼を凝らしてきたのだ。じっと、遠くから見守っていたのだ。すべての小事件、すべての人の動き、それらはみな、いながらにして忠相の知るところだった。目前に鏡をかけて遠景を映して見るように、忠相は何もかも知っていたのだ。
 そのために彼は、三人の人物を使ったのだった。ひとりは、手附《てつけ》の用人伊吹大作の弟で錦也《きんや》であった。錦也は梅舎錦之助《うめのやきんのすけ》と偽名して、一時お駒ちゃんの情夫となり、それとなしに磯五の人物、策動、磯屋の内幕などをさぐり出した人であった。
 これは御用の役人といえば役人であったけれど、他の二人は、全く私人関係で、忠相に頼まれてうごいた人たちだった。ひとりは若松屋惣七の従妹の歌子で、もう一人は、若松屋惣七と歌子の親友である紙魚亭主人の麦田一八郎であった。

      三

 はじめ忠相は、若松屋惣七の身辺に近い者を求めて若松屋惣七の側から、惣七を通して、磯五を探ろうと考えて、若松屋惣七の縁辺を物色して、歌子を得たのだ。
 歌子は、惣七の利益《ため》になることなので、すぐ引き受けたのだったが、もうひとり助勢を求めて、大槻藩の麦田一八郎の名をあげたのだった。一八郎は自用に託して、ちょいちょい出府して来ては、それとなく若松屋惣七をとおして磯五に眼をつけていた。歌子は、お高とおせい様に交わってその方面から磯五の悪計を看視してきた。
 ふたりは、そのために多勢で片瀬の龍口寺へお詣りしようとして、それはお流れになったけれど、そのかわり、雑司ヶ谷の雑賀屋の寮まで出かけたり歌子は、おせい様と同道して、東海道を由井宿まで旅したりした。
 それがいちいち報告されて、忠相は、手の平を読むように、もう磯屋五兵衛をつかんでしまっていた。こうして磯五のまわりには、眼に見えない法の網が、日一日と細かく編まれつつあったのだ。
 このやさきに、木場の甚の手に持ちあがったのが、和泉屋の一部を柘植の財産として柘植家の唯一の血筋であるお高に譲ろうとの一件だ。
 和泉屋という大店《おおだな》の財産が動くのだし、それに、お高という女が確かにあの柘植宗庵の娘おゆうと婿相良寛十郎とのあいだにできたものとわかって和泉屋の一部へ手を置くことに決まれば、その他、あちこちから地所やら家作やら莫大な資財がお高にあつまることになるので、これは、広く容易ならざる関係を及ぼすことであるから、これらのことはすぐ奉行所の耳へもはいって来ていた。
 和泉屋からも、非公式に具申してきていたし、それよりも、木場の甚は、ふるくから深川の顔役で、公事《くじ》やその他いっさいの口ききで、数寄屋橋《すきやばし》ぎわの奉行所へは日参していたし、忠相も、しっかりした老人をみて、以前から半官式に深川一帯のことをまかせて、忠相と木場の甚とは、役目を離れて、ある意味では友人でもあった。いつもこうして、屋敷で膝ぐみで話をしてきた。
 また奉行の忠相と、相対ずくで会話《はなし》のできるのも、この木場の老人だけだった。で、和泉屋とお高のこと、そのお高へ行くべき柘植の財産を木場の甚が管理してきたことなどは、忠相は木甚から聞いて、とうに知っていた。
 だから、お高の実父の相良寛十郎という御家人がまだ生きているはずで、それが現われないのでお高のほうへ行くべきものが一時迷っているときに、木場の甚の願いを許して、江戸中の番所、寄会所、湯屋、髪結い床など人眼につきやすい場所に、あの、相良寛十郎のその後や在所《ありか》を知っていて申し出るかまたはその手がかりとなるべきことをしらせた者には礼をする意味の貼り紙をさせたのは忠相だった。
 その貼り紙が出て、日本一太郎なる手妻使いの芸人が、じぶんこそそのお高の父の相良寛十郎であると名乗り出て、そのために、和泉屋の口をはじめ、お高に巨額の財産が移ったのだが、事実は、その日本一太郎は、磯五の思いつきで、磯五に頼まれて、父と称して出たというのだ。
 磯五は、京阪《かみがた》で日本一太郎に会ったことがあるので、木場の甚の口やなどで日本一太郎を思い出して、ちょうどぐあいよく江戸に来て両国に掛かっていることがわかったから、似ているらしいからこれなら通るだろうと名乗らせて出したところが、案のじょううまく通ったのだった。
「あの磯五てえ男も、利口なようで馬鹿なやつでございます」
 木場の甚が、何かしんみりした口調でいい出していた。忠相は口をつぐんで、むう、むう、というような音を舌の上でころがしながら、じろりと木甚を見ただけで何もいわなかった。木場の甚がつづけた。
「あの日本一太郎を真物《ほんもの》の相良寛十郎とは知らずに、すっかり贋《にせ》ものを仕立てた気で出してよこしたのだから、笑わせるじゃあございませんか」
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