もと高音といった女のおやじだと名乗って、面を出せばいいのですね」
「そうだ。いうまでもねえが、おれとは関係のねえことにして、木場の甚が、大岡様にお頼みして、自身番や寄合所に貼り紙がしてある。どこかでその貼り紙を見て、それで飛び出したことにしてもらいてえのだ」
「承知しやした。ものになるかならねえか、ひとつやってみやしょう」
 で、案外、すらすらと引き請けてこの日本一太郎がお高の実父相良寛十郎であると名乗り出ると、案のじょう、木場の甚も一空さまも、磯五の思ったとおり、あまり似ているのですっかりほんものととって、それでもいろいろとためしてみる。
 ところが、柘植の家のことや家出前後の事実は、磯五が、以前お高から、今また木場の甚から聞いたところをあらかじめ含めてあるし、また日本一太郎のいうところが奇妙にいちいち節《ふし》が合っていて、ついにほんとの父の相良寛十郎と認められ、お高に無事に柘植の財産が伝えられるようになったのだった。
 すべてがうまくいって、お高はいま、莫大な女分限者である。磯五は、離れてはいても、そのお高の良人なのだ。そろそろ何だかんだと金を引き出してやろう。さもなければ少しまとまった金を分けさせて、それで正式に縁を切るようにしてやろうと、磯五はその機会を待っていろいろに考えながら、このごろは、上きげんの日が続いているのだ。そこへ、だしぬけに日本一太郎がやって来ての話である。
「お高のほうがうまくいって、おめえもおいらも、こんな安心なことはねえのだ。どうだい。こんどひとつ手品ばかりの小屋をあけようと思うのだが、なあ大将、景気づけに見に来てくれねえか」
 磯五は、場所や日日《ひにち》のことを詳しく聞いて、連中を作って出かけようと約束したのだ。

      二

 七月十三日は王子権現《おうじごんげん》の祭礼で、俗にいうびんざさらの祭だ。お高のことで木場の甚と相識《しりあい》になった日本一太郎は、木場の甚の胆煎《きもい》りで、ここの境内の祭の前後五日間、自分が太夫になって手妻だけの小屋を張り通すことになって、大変な意気込みだ。
 手妻などというものは大道のものか、小屋に掛かってもほんのつけたりのもので、うどん粉のようなつなぎに過ぎなかったのが、はじめて一本立ちの興行をすることになったのだし、それに、さすらいの手品師日本一太郎老人にも、芸人としての矜持《ほこり》もあれば、一世一代に、老後の思いでとして一度ははなばなしく思う存分に舞台を持ってみたいとかねがね思っていた、その機会がはからず到来したのだから、腕によりをかけて当日を待っていることはいうまでもない。
 ことに江戸で有名な顔役の木甚《きじん》が太夫元なのだし、それに、日本橋の磯五が力こぶを入れている。芸人|冥利《みょうり》に尽きる話だという、評判も評判、大変な前景気であったが、本人も、一生懸命で、相変わらず藤代町の宿屋木更津屋の二階で、今度の花形のお駒ちゃんに日本一太郎新考案の手踊り天人娘《てんにんむすめ》夢浮橋《ゆめのうきはし》を振りつけて、せっせと仕上げをかけながら、
「なあ、お駒ちゃん、おめえはこれで江戸中の人気をさらうのだぜ、みっちりやってもらおう」
「それは、わたしもこれで、芽を吹くか吹かないかの瀬戸ぎわだもの、みっちりやることはやっているけれど、江戸中の人気をさらうなんて、そんな見えすいたおだてはよしておくれよ」
「ところが、決しておだてでもお世辞でもねえのだ。おめえは自分の踊りっぷりがわからねえし、それに、おいらの頭ん中にある天人娘夢浮橋の演《だ》し物《もの》を知らねえから、それでそんなことをいうけれど、おいらは考えることがあるのだ。必ずこれで当たりを取って、おめえの名を売ってやるし、おらあ第一、こんだの舞台を最後に、手品にも何にも、芸人渡世はこれですっぱり打ち切るつもりでいるのだ。
 いや、芸人商売ばかりじゃねえ」と、日本一太郎は何か急にしんみり考えこんで、
「この世の中におさらばするかもしれねえのだ」
「何をいっているんだい」
 天人娘夢浮橋の衣裳が届いてきたので、お駒ちゃんは、その、日本一太郎の考案になる、羽衣の天人のような着付けで、本式に稽古の身振りを励みながら、
「あたしの出るところは、ほんのちょっぴりなんだろう? 当てれば、日本一太郎というお前の名が上がるばかりさ。お前の名を上げてあげようと思って、あたしはこんなに稽古に力を入れているのさ。いやだよ。じぶんのことなんか考えてみたこともありあしない。第一、お前、この世の中におさらばするなんて縁起でもない。莫迦ばかしいこというもんじゃないよ」
「いんや、そうでねえ。おいらはもうこの年齢《とし》だからいつどんなことがあるかもしれねえというんだ」
 お駒は、日本一太郎がときどきへんなことをいったりする
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