ようとあせっているのである。
 おせい様が大家《たいけ》の人であることは、身なりを見てもわかる。よくある質《たち》のわるいやり方で、この磯五の店を買いとった金も、おおかたおせい様から出ているのであろう。磯五が女殺しであることは、顔や風体や弁舌だけでもわかるが、彼はこうして、女の生き血を吸って生きているのだ。世間知らずの単純なおせい様のこころは、もうすっかり磯五にしてやられて、ほんとにいっしょになる気でいる。いっしょになって、自分の財産の全部を、男の愛のために、よろこんでほうり出す気である。
 今のおせい様には、何とかして磯五をよろこばせるほか、何の目的もないのだということが、世の中のうらおもてを見てきている若松屋惣七には、たとえ眼は不自由でも、磯五という人物の解釈から、瞬間にして看破することができたであろうが、お高は女で、年も若いし、それになんばなんでも磯五がそんな悪辣《あくらつ》なことをしようとは思わない。
 自分をすてて逃げたのだし、自分もいまもとの関係へかえろうとは思っていないが、それにしたところで、ほかに夫婦約束ができるわけのものではない。そう思った。うつむいて、黙っていた。
 話し相手を見つけたうれしまぎれが、おせい様をひとりでしゃべらせていた。
「去年わたしがお伊勢さまへお詣《まい》りしましてね、大阪へ遊びに寄って、あの人に会ったのでございます。あの人は堺で大わずらいをして、そのときわたしが看病をしました。おや、あの人はどこへ行ったのでございましょう。此室《ここ》にいると小僧さんがしらせてくれましたので、おどろかしてあげようと思ってこっそり来たのでございますがねえ」
「ほんとにねえ。今までここに話しておりましたのでございますが、どうしたのでございましょう。ちょっとわたくしが見て参りましょう」
 お高は、ゆらりと起ち上がった。

      三

 お高は、ここでおせい様と話しているところへ、磯五に帰って来られてはたまらないような気がした。どうしたらいいかわからないと思った。おせい様は磯五という人間を、神様や仏さまのように考えているらしい。そのおせい様のまえに、ぎっくりしてまごまごしている磯五を見せることは、おせい様にすまないとお高は思った。
 縁へ出ると自分のはきものがあった。それを突っかけてはいって来た横丁づたいにおもての往来へ出た。
「まあまあ、その
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