っていたというようにおだやかに笑った。
「いや、話せば長いことだが、いい手づるがあってなわたしに、衣裳の流行《はやり》に眼があるというんで、友だちやなんか、いろいろ骨を折ってくれる人があってな、金を工面《くめん》して、この磯五をそっくり買いとってくれたのだよ。まあ、金主がついて買ったようなものだが、わたしの店は私の店なのだ。だから、力の入れがいも、あろうというものだ」
 お高は、つと磯五を見た。
「もう何も知りたいとは思いませんが、きくことだけは聞きますよ」
「何だな、あらたまって」
「わたしがこの磯五の店から買い物していたことは、お前さまよく知っていなすったろうに」
「うん。いろいろ買っておったことは知っていたが、借りがあるとは知らなかった。お前の金で、払ったのだろうと思っていた」
「その私のお金を、あなたが持って行ってしまったのではありませんか。どうして払えるものですか」
「まあ、そんなこというな。あの金は、いまでも返すよ」
「いりませんよ、あんなお金――」
「そうけんけん[#「けんけん」に傍点]いうな。それより、おれはこの店全体をお前と二人でやって行こうといっているのだ」
「何のことですの、それは」
「つまり、より[#「より」に傍点]を戻そうというのだ――なあ高音、おれは、お前に会いたかったよ」
 お高は、眼を伏せた。肩が、大きく浪《なみ》を打っていた。磯五は、そのようすを見て、ひそかにほほえんだようだった。
「高音――」と、彼は、声を沈めて、いざりよった。お高も、男のほうへ、一、二寸引かれたようだった。
「なあ、またいっしょに住もうじゃないか。これだけの大店《おおだな》が、みんなお前のものなんだ。おれも、昔のままのおれではないつもりだ。な、高音、もとどおり、おれんとこへ帰って来てくれよ」
 猫《ねこ》のような磯五の声が、お高の耳に熱く感じられた。お高は、思わず、彼の膝へ手を置こうとしていた。
 廊下にあし音がして、小僧が顔を出した。問屋の使いが、至急の用で、ちょっと会いたいといって待っているというのだ。磯五は、すぐ帰ってくるとお高にいって、あたふたと部屋を出て行った。
 ひとりになると、お高のこころは、また金剛寺坂へ飛んでいた。惣七のことが、すう[#「すう」に傍点]と入れかわりに、彼女のあたまを占めだした。
 そのとき、音もなく縁から人がはいって来た。金のか
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