に説明するために、その一月ほどまえの七月六日に、忠相は、日本橋の高札場に高札を立てさせた。
そのころ、ところどころへ名も住所も書いてない捨て文をして、法外のことがあるので、毎月、二日、十一日と日を限り、評定所の外の腰掛けに箱を出しておく。書き付けを持って来て、この箱へ入れるのだ。
時間は、昼間の九時間だ。箱のそとへ落としても何にもならない。悪人の仕置きに参考になる、証拠や反証でもいい。役人の私曲非分は、大いに歓迎する。繋訟《けいしょう》中の事件で、係の役人があまり長くうっちゃっておいて迷惑していることなどもどしどし投書してよろしい。
が、単にじぶんのためや、私《わたくし》の意恨で、人のことを悪くいうのはつけないお取り上げにならない。何ごとによらず、じぶんで確かでないことや、また人に頼まれたからといって、両方のいい分を調べてもみないで、すぐ目安箱へほうりこむことはならぬ。何でもありのままに書いて、作りごとやごまかしは全然許されない。これらはすべてお取り上げにならないで、その投書は焼き捨ててしまう。
投書はみな持って来て箱へ入れなければならない。訴人の名前、宿所は必ず明記すること。これのないものはお取り上げにならない。
続々と投書があつまるなかに、天下国家の政道に関するものも多いが、個人の隠れたる犯罪をあばいてくるものもすくなくない。その中に、以前からちょくちょく、日本橋式部小路の呉服太物商磯屋五兵衛を呪訴《じゅそ》するものがひんぴんとあって、その中でも、ことに三通、何となく忠相の注意をひいた。
一は、龍造寺主計と名乗る浪人から、二は、下谷拝領町屋雑賀屋の寮の料理人久助という者から、三は、小石川金剛寺内洗耳房の禅僧一空からであった。
三通とも、日本橋式部小路の呉服屋で、茶坊主上がりの磯屋五兵衛が、陰で色仕掛けで悪いことをしている事実に触れたもので、龍造寺主計は、彼が、庄内十四万石、酒井左衛門尉の国家老をつとめている弟の龍造寺兵庫介から金はふんだんに出るので、そのとき若松屋惣七が失敗して困っていた掛川宿の脇本陣具足屋に金を入れて、その経営を引きうけて江戸を発足するまえに目安箱へ入れたものであった。
それは、磯五が上方における若竹との旧悪から、おせい様をたぶらかして磯屋の店を手に入れたこと、それから若松屋惣七の両替ならびに仲介業《なかだちぎょう》をつぶそうと
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