はしなかった。
「だって、旦那様が、あぶないことをなさるんですもの」
「なに、誰もあぶねえことなどしやしねえ」
「だって、落ちそうになるのですもの」
「落ちても、ころがっても、誰も見ていねえからいいのだよ」
「いけませんよ。あれ、いけませんよ。落っこちそうになりますよ。誰も見ていないといって、そこに旦那様がいらっしゃるじゃありませんか」
「おれは、いてもさしつかえねえのだ」
「いけませんよ」
「なぜいけねえのだ」
「なぜでもいけませんよ」
「なぜでもなぜいけねえのだ」
 お美代は、そっとたち上がって、こんどは、磯五のほうを向いて、馬に乗るように磯五の膝にまたがって、いたずらそうに眼を笑わせた。
「さあ。ゆさぶってくださいよ。今度は大丈夫。落ちませんから」
「大丈夫落ちねえか」
「落ちませんよ」
 磯五が、力を入れて膝をうごかすと、お美代は、きゃっきゃっと笑いこけながら、うしろへ倒れそうになって、それから、磯五の帯に手をかけてしっかりつかまり出した。
 狭い部屋でふざけていて、笑い声と物音とが大きかったので、縁を近づいてくる跫音《あしおと》を消していた。
 あし音は、部屋のまえでとまって、そこの障子がするすると開いた。
「大変なさわぎですねえ。地震かと思いましたよ」
 それは、お針頭のおしんであった。おしんも磯五に負けて、よほど以前から、磯五のいうとおりになっているのであった。障子をあけたおしんは、草のように蒼い顔であった。眼が、うわずって、光っていた。おしんは、ばたばたとはいってくると、沈むようにお美代のまえにすわった。お美代は、とぶように磯五の膝からおりて、べったり畳に腰をつけていた。
 突っかかるように、おしんがいっていた。
「この娘《こ》は――、この娘はずうずうしいにもほどがあるよ。前から知ってはいたけれど、真っ昼間から何だろう。こんなところで、旦那様に抱きついたりなんぞ、いやらしい」
 お美代は、だまって、おしんの顔をみつめていた。おしんも、口をあけたてするだけで、無言で、相手をにらみつけた。
 こまかい着物を着た年増と、派手な衣裳の娘と、それは、年とった牝猫《めねこ》と若い牝猫との喧嘩の場面を磯五に聯想《れんそう》させて、真ん中にすわっている磯五が、困りながら、内心面白くてくすくす笑って、けしかけるようなこころもちで見物しているとき、もう一度障子が人影を浮
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