な、ほのぼのとした笑い声で、どんな場合にも人に好感をいだかせずにはおかない、一種の魅力がこもっていた。
「これは驚いた! おどろきました」
 磯五はこういって、お高と若松屋惣七を交互に見たが、ほんとは、口でいうほど、さほどおどろいてもいないようすだ。茶坊主あがりだけに、円頂を隠すためであろう。茶人頭巾《ちゃじんずきん》のようなものをかぶって、洒落《しゃれ》た衣裳を着けている。
 長らく大奥につとめたという、その品位はさすがに争えないもので、香をたきしめたように、彼の身辺に漂っているのだが、こうしていると、ちょっと見たところ、磯五という大きな太物屋の旦那とよりは、まず俳諧《はいかい》の宗匠と踏みたいのである。
 すらっとして優男《やさおとこ》で、何よりも、その顔だ。じつに美男で――美男というと、いやにのっぺり[#「のっぺり」に傍点]しているように聞こえるが、のっぺりしていない美男なのだ。何といったらいいか、――大きな眼が澄んでいて、顔だちがすっきりしていて、官能的な口の両端が皮肉に切れ上がっていて、とにかく妙に女好きのする顔だ。
 ほがらかな表情のまま、じっとお高を見ている。
 お高は、みじめにあわてていた。手をすべり落ちた茶器が、足もとに散らかって、畳が、うす緑色の液体を吸いこもうとしている。その始末も忘れて、若松屋惣七の顔へ、おののいた眼を凝らした。
 惣七は、無言だ。青い色が、顔を走り過ぎた。よく見えない眼をみはって、磯五を見ようとした。細い指が、ふるえて、着物の膝をつかもうとしていた。
 若松屋惣七は、はじめて挨拶した瞬間から、この磯五からいい印象を受けていた。視力の不自由な人の感である。この男なら、高音の二百五十両の件を切り出しても、事情さえわかれば、取り立てを延ばしてもらえそうだ。それどころか、こっちの出ようによっては、無期延期というような話しあいも、むずかしくはなかろう――そう考えていたやさきである。
 そう考えていたやさきに、この新しい磯五こそ、もと奥坊主組頭をつとめていた、お高の良人だと聞いて、若松屋惣七は、急に、たましいの全部をあげて、磯五を憎んだ。突っかかるような憎悪《ぞうお》が咽喉につかえて、彼は、ことばが出なかったのだ。
 無意識のうちに、左手がひだりへ伸びて、そっと畳をなでていた。武士のときの癖で、そこに、佩刀《かたな》が置いてあるような気
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