くらんだ仕事に相違あるまい」
「どうも、そうらしいのでございます。でも、わたくしは、お金のことは、もう何とも思っておりませんでございます。あの人も、心から悪い人ではなし、ふっと魔がさしたのであろうと、あきらめておりますのでございます」
「何の、心からの悪ものではないものが、そんなことをしようぞ。これ、お前は、このわたしの膝の上で、きやつの弁疏《いいわけ》をする気か」
「いいえ。決してそんな――」
「ええっ、聞きとうないわ。こりゃ、もしその茶坊主が死んでおったら、お前はわたしに、身もこころもくれることであろうな」
「それはもう、たとえあの人が生きておりましても――と申し上げたいのはやまやまでございますが、何だか、気になりまして――」
「うむ――」
 若松屋惣七の顔を、けわしい剣気が、刷《は》いて過ぎた。これは、お高が夢にも知らない、流山《りゅうざん》一刀流の[#「流山《りゅうざん》一刀流の」はママ]剣士としての惣七である。一抹《いちまつ》殺闘の気が、男の胸から、お高にも伝わったのであろう。お高は、ひょいと、あどけない顔をふり上げて、惣七を見た。
「まあ、こわ! 何を考えていらっしゃいますの?」
「――」
 お高は、甘えて、惣七を揺すぶった。
「よう、旦那さま、何をそんなに考えていらっしゃる――あ! わかった」
 お高は、顔いろをかえて、惣七をふりほどこうとした。惣七は、もう笑顔に返っていた。
「わかったか。わたしはいま、その男にあったときのことを思っておったのだ」
 久しく、思い出したこともない落葉返しの構え、その落ち葉のように、かっと散る熱い血しぶき――惣七は、とっさに剣を想ったのだ。忘れていた刃《やいば》のにおいが、つうんと惣七の嗅覚《きゅうかく》をついた。
 この、はじめて見る惣七に、ぎょっー、としたらしく、お高が、惣七の抱擁《ほうよう》からのがれようと、もがいている時、廊下の跫音《あしおと》が近づいて来た。
 惣七も、お高を離した。同時に、縁側に、男衆の佐吉が、うずくまった。若松屋惣七は、不興げな顔を向けた。
「客か」
「へえ。日本橋式部小路《にほんばししきぶこうじ》の太物《ふともの》商、磯屋五兵衛《いそやごへえ》てえお人が、お見えでごぜえます」
「なに、磯五が参った」
 ちらと、お高と惣七の眼が、合った。お高は、恐ろしい借金のことを思って、眼に見えてふるえだ
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