のじめじめする、うす暗い部屋だ。半間の床の間に、投げ入れた金雀枝《えにしだ》がさしてあった。
一空さまが、柘植の家がもとこの和泉屋の持ち主で、宗庵の死後、娘のおゆうが采配《さいはい》をふるっていたはずなのが、それもなくなったのち、どうして柘植の家から離れるようになったのか、そこの関係はいまどうなっているのかと伊之吉にきくと、伊之吉は少なからず驚いたようすであったが、それでも、こころよく、知っている限りのことを話してくれた。
おゆうの娘のお高というものが生きていて、貧しくしているので、お高のものであるべきおゆうの財産はいまどこへどう行っているのか、それを審《しら》べるための、これもその一つであるということも、もちろん一空さまは、伊之吉にうち明けたのだ。一空さまも柘植姓であること、じぶんとおゆうとのつながり、それらのことも、一空さまは、あますところなく伊之吉に告げた。
すると、伊之吉が答えた。
それは簡単なはなしだった。
二
だいぶ昔のことで、伊之吉は人のうわさに聞いたに過ぎないのだけれど、おゆうは、良人の相良寛十郎と、ふたりのあいだの、生まれてまもない娘をつれて、上方のほうへ行っていて、そこで死んだというのだ。おゆうはなかなかのしっかり者であったが、寛十郎は、金をつかう以外に能のない、やくざな男であったらしいというのだ。
それは、一空さまの識《し》っている御家人の寛十郎に相違ないのだが、おゆうが、幼いお高といっしょに京阪《かみがた》へ行っていて、むこうで死んだというのが、お高の話と違うのであった。お高は、幼児《こども》のことで、覚えているはずはないが、母は江戸でなくなって、それから、前後旅には出たものの、とにかく父の相良寛十郎といっしょに深川古石場の家に住んでいたといっていた。
なおよくきいてみると、伊之吉がいうには、おゆうが関西の土になってから、寛十郎も娘も完全に行方不明になって、それ以来、父と娘《こ》はどこにどうしているか、見た者も聞いたものもないので和泉屋は自然柘植の家を離れて、べつの経営に移ったまま、二十年もたってきたというのだ。
「いや、まことに不思議な話じゃ」一空さまが、口をひらいた。
「わしが、おゆうさんの娘の高音という、いまはお高といっておるが、そのお高どのから聞いたところとは、かなり相違する点があります。が、しかし、それ
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