。好きな男のために、と。あははははは――おらそれが気に入らねえのだ」
三
「いったい何の御用でわたしをここまで呼び出したのでございます」
「おめえが拝領町屋へ出かけて行って、よけいなことを ようだから[#「 ようだから」はママ]、それをやめさせようと思って、急に出向いて来たのだ。わるいことはいわぬ。早々このことから手を引いたほうが、おめえのためだろうぜ」
「それこそよけいなお世話でございますよ。わたしは、お前さまのようなお人が、四方八方に迷惑をかけているのを、黙って見ているわけにはゆきませんでございますよ。手を引けなどと、よくもそんな虫のいいことがいえましたねえ」
「昔のよしみだ。なあ、高音、たがいに邪魔だけはしないことにしようじゃないか」
磯五がにっこりすると、ちらりと白い歯が走って、小指の先ほどのえくぼがあくのである。お高は、その顔を見ないように眼を伏せて、足もとの枯れ草をむしった。
「いやでございますよ。もうその手には乗りませんよ」
「一言いっとくぜ。後悔しねえようにな」
「おどかしはききませんよ」
と、いったものの、お高は、とうてい自分が、磯五の敵でないことを知った。手も足も出ないのだ。磯五は、先のさきまで見抜いてる。女のこころもちというものを、鏡にかけるように、すみずみまで知っているのである。
彼のいうとおり、たとえおせい様は、お高が磯五の女房であって、そのために磯五といっしょになれない。その点では、磯五にだまされていたと知っても、ちょいと何か磯五がうまいことをいいさえすれば、また、ちょろりとごまかされて、かえって磯五に同情を寄せるようなことになるだろう。そして、お高への嫉妬《しっと》と反感から、いっそう若松屋惣七をせっつくことであろう。かえって事態を悪くするに相違ないのだ。
ではどうしたらいいか。どうもできない。お高は、とっさに自問自答した。
磯五が、例の油のような声でいっていた。
「とにかく、おせい様にいらぬことをいわねえようにしてもらおうと思って、おせい様のとこから帰るとすぐ、その足でここへ来たのだ。若松屋が、おせい様の金のことで四苦八苦していようが、いまいが、そんなことはおれの知ったことじゃない。おれはただ、おめえを、このことから手を引いたほうが利口だと納得させれあいいんだ。わかってくれたな」
「わかりませんよ。ちっと
前へ
次へ
全276ページ中88ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング