上騒然としてまいったな。」
「そういわれると、」と、一角は、微笑して、刀をかまえる手真似をした。「近いうちにあるかもしれませんな、これは。」
「うむ。それについてだ。」
 小林は、膝をすすめて、
「君の兄貴の狂太郎君、ぜひあの狂太郎君の出馬を仰ぎたいと思ってな――。」
 一角も、火桶ごしに乗り出して、小林の口へ耳を持って行った。
 密談が、つづいた。
 元禄十五年、十二月四日だ。

      三

「兄者、兄者っ――!」
 清水一角の武骨な手が、きょうも朝から食《く》らい酔って大の字形に寝こんでいる、兄狂太郎のからだに掛かって、揺り起そうとした。
「兄者! またか。夜も昼も食べ酔って、困った仁《じん》じゃなどうも。」
 一角は、黒羽二重の着流しの下に、紐で結んだ刺子の稽古着の襟を覗かせて、兄の顔のうえに、かがみこんだ。
 常盤橋《ときわばし》際《ぎわ》から、朱引き外の本所松阪町へ移った吉良家門内の長屋で、一角はいま、小林の許を辞して、この、じぶんの住いへかえってきたところだ。
 無双連子《むそうれんじ》の窓から、十二月にはいって急に冬らしくなった重い空が、垂れ下がって見えて、水のよう
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