な日光がひたひたと流れこんでいる。
奥ざしきとはいっても、玄関から二た間目の、そこの三尺の縁に、かたちばかりの庭がつづいて、すぐ眼のまえに屋敷をとりまくなまこ塀の内側が、圧《お》すように迫っている部屋である。
床の間のふちに後頭部を載せて、赤く変色した黒紋つきの襟をはだけ、灰いろによごれた白|袴《ばかま》の脚を投げ出して、一角の兄、清水狂太郎は、ぐっすり眠っていた。
線の険《けわ》しい、鋭角的な顔だ。まだ四十になったばかりなのに、だらしなくあいた胸元に覗いている黒い、ゆたかな胸毛のなかに、もう一、二本、白く光るのがまじっているのを見つけると、一角は、この、放蕩無頼《ほうとうぶらい》で、人を人とも思わない変りものの兄が、何となく、ちょっと可哀そうに思われて来た。
その瞬間、老驥《ろうき》ということばが、一角のあたまのなかに、想い出された。老驥《ろうき》、櫪《れき》に伏す。志は千里にあり――そんなことを口の奥にくり返して、急にかれは、この厄介者の狂太郎に対して不思議に、いつになくやさしい、センチメンタルな気もちにさえなって往った。
「兄貴、起きてくれ。話しがあるのだが――弱ったなあ。」
舌打ちをすると、眠っているとばかり思っていた狂太郎の口が、動いて、
「おれの耳は、縦になっていようと、横になっていようと、同じに聞えらあ。」
一角は、どんと激しく畳に音を立てて、すわり直した。
「こん日も、小林殿より内談があった。」
当惑しきったという顔で、一角は、語をつないで、
「例によって、今までたびたび取り沙汰された、無論、一片の風説に過ぎますまい。」
「何が――?」
「が、赤穂の浪人めらが、近く御当家を襲撃するらしいといううわさは、依然としてひそかに、巷《ちまた》に行われているというのです。」
「そうだったな。そいつを聞いて、おれも、呆れけえってる始末よ。」
「あきれ返るのは、こっちです!」
「何だ、出しぬけに。」
「ですから、このさい、ことに上杉家から来ておるわれわれは、御家老千阪様の恩顧《おんこ》に報いるためにも、ああして一同、夜を日に継いで、赤浪の動静探索に出ておるのに、兄者ひとりが、こうやって、ごろごろ――。」
「うるさいっ!」
狂太郎は、ごろっと、寝がえりを打った。
雑魚《ざこ》一匹
一
「兄貴の呑《のん》気にも、泣かされますな。すこしは、舎弟の身にもなってもらいたい。小林殿に対して、じつに顔向けならん仕儀だ。」
「何をいってやがる。てめえのあ、顔って柄じゃあねえ。そんな面《つら》あ、誰にだって向けられるもんか。」
「千阪様の御推挙によって、目付役として来ておる拙者であってみれば、大須賀、笠原、鳥井、糟谷、須藤、宮右をはじめ、松山、榊原、それに、和久半太夫、星野、若松ら――あの連中を懸命に督励して、せっせと赤浪どものうごきを探らねばならぬ。また事実、みな必死に働いてくれておるのに、それに率先《そっせん》すべき身でありながら、兄貴ばかりは、そうやって、無精《ぶしょう》ひげを伸ばして――。」
狂太郎は、頬から頤へ手をやって、撫ででみた。
やすり紙で軽石をこするような、ざら、ざらと、大きな音がした。
一角が[#「 一角が」は底本では「一角が」]、つづけて、
「熟柿《じゅくし》くさい息をして――。」
はあっと息を吐いて、狂太郎は、それを追うように鼻をつき出して、においを嗅いだ。
「眼ざわりでござる!」
呶鳴った弟の声に、狂太郎は、むっくり起き上った。
「大きな声だな。寝てもおられん。」
きょとんとした円顔で、不思議そうに、一角を見つめた。
「ううい、どうしろというのだ。」
「じつにどうも、度しがたいお人ですな。吉良殿を護るために、赤浪ばらの策動を突きとめていただきたい。これは、付け人として当然の任務ですぞ。」
「大丈夫。攻めてなんぞ来はせんよ。また、来たら来たで、その時のことだ、あわてるな、狼狽《あわ》てるな。」
「何をいわれる! 隠密の役目は、あらかじめ――。」
「隠密? この、おれが、か?」
「さよう。」
「間者だな。」
「さようっ!」
「密偵だな、早くいえば。」
「くどいっ!」
「犬じゃな、つまり――犬、猫、それから、男妾には、なりとうないと思っておったが――。」
「何をいわれる。誰が兄貴を、男めかけにする女《もの》があります。」一角は、とうとう笑い出して、「犬、猫などと、見下げたようなことをおっしゃるが、兄貴は、それこそ犬、猫のごとくに――。」
狂太郎は、眼をしょぼしょぼさせて、
「まあ、それをいうな。」
「いや、いいます。あまりだからいうのです。まるで犬、猫のように、雨露をしのぐ場所もなく、尾羽《おは》うち枯らして放浪しておられた――。」
「今だって、尾羽うち枯らしておらん
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