しんみりと、
「おあにい様のお身の上――ひいては、お家が第一でございますから。」
「ついては、おれに策がないでもない。お前にも、ちょっと働いてもらわねばならんかもしれぬが。」
辰馬の声に、きっとしたものが聞かれて、糸重は、身を固くした。
「はい、何なりと――。」
「平茂のう、あの、担《かつ》ぎ小間物の――。」
と私語になって、辰馬がにじり寄って来ていた。
二
駿河町の裏通りの自宅を出た平野屋茂吉は、高価な商売物のはいった桐箱を、風呂敷包にして提げて、片手に傘をさして歩いていた。
鎌倉河岸《かまくらがし》に、三月の雪が降って、茶いろのぬかるみに白い斑点があった。
「おい、平茂じゃあねえか。」
辰馬は、御家人くずれといった、やくざな服装でそこらをぶらつきながら、平茂を張っていたのだった。
声をかけて、傘の下へはいって行った。
「どこへ行く。嫌なものが、落ちたぜ。」
「おや、これは、岡部の若殿様でしたか。」
きょとんとしたが、顔中に愛嬌を見せた平茂は、
「そのお拵《こしら》えは――ははあ、雪の日に、尾羽《おは》打《う》ち枯らした御浪人、刀をさした案山子《かかし》という御趣向で、なるほどな、おそれいりました。おそれいりました。」
「胡麻《ごま》をするなよ。好きで、こんな恰好ができるか。」
並んで、歩き出した。
「しかし、御無沙汰つづきで――お見それ申しやしたよ。」
だしぬけに、辰馬がいった。
「兄貴が、かまってくれぬ。恥かしながら、このざまだ――。」
「へ?」
平茂が訊き返したが、辰馬は、ひとり合点でしゃべりつづけた。
「不如意だらけ――どうにもこうにもやりきれんのだ。一時、女房を預けたいと思うのだが――。」
「糸重様を?」平茂は、歩をとめて、狡猾そうに辰馬を見た。「御冗談で。」
「背に腹は換えられぬ。本人も承知だ。妾奉公でも何でも、といっておる。」
二人は、どっちからともなく、降雪《ゆき》の中に、膝を包んでしゃがんでいた。
声をひそめて、辰馬が、
「貴様、鍛冶橋のおやじにひとり、頼まれてるというじゃねえか。」
「吉良様ですか。よく御存じで。」
「地獄耳よ。早えやな。きまったのか、そっちのほうは。」
「いえ、まだお見せしたわけではなし、決まったというわけではございませんが――ほんとですか、殿様。」
「うそでこんなことがいえるか。ぜひ糸
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