作道の頂天にある時代だった。酒飲みで遊び好きの三馬は、またよく人と争い、人を罵って、当時の有名な京伝《きょうでん》、馬琴《ばきん》などの文壇人とも交際がなかった。ことに曲亭《きょくてい》とは犬猿の仲であった。馬琴の眼には三馬などは市井《しせい》の俗物としか映らなかったし、三馬は馬琴をその傲岸憎むべしとなしていた。この驕々たる三馬が一日思い立って日本橋から遠い四谷の端れまで駕輿《かご》をやったのは、狂歌師|宿屋《やどや》飯盛《めしもり》としての雅望と、否、それよりも六樹園の本来の面目である国文学の研究に少からず傾到するところがあったからだ。
婢《ひ》が書斎の六樹園の許に刺を通じて、
「菊池太助さまとおっしゃる方がお見えになりましてござりますが。」
と言った時六樹園は誰だかわからなかった。もう一度訊き返せと命じて婢を玄関へ去らせた。するとすぐ引きかえして来て、
「しゃらくさい、とおっしゃるだけで。」
と女中は口を覆って笑った。
「洒落斎《しゃらくさい》、おう、式亭どのか。」
と六樹園はその一代の名著|雅言集覧《がげんしゅうらん》の校正の朱筆を投じて立って三馬を迎い入れた。
語る相
前へ
次へ
全25ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング