の散歩だけで屋敷へ帰れそうに思われる。
「おい、寺中、はたしあいもいいがつまらんではないか。」
 と言うつもりで、
「おい寺中。」
 と口に出すと、
「何だ。」
 という相手の声のなかに、許しておけない敵意を感じて、だまりこんでしまう。すると他方が、おなじ心もちから、
「おい、安斎。」
 と言いかけるが、やっぱり、
「何だ。」
 という相手の声で、たまらなく不愉快にされる。で、いらいらしているうちに、二人の息づかいがたがいの耳の近く荒くなって、足がだんだん早くなって、甚吾と十郎兵衛、雨のなかを光妙寺の墓地へ駈けこんだ。こうなってはもう仕方がない。
 ぼうんと傘を捨てる。同時に、きらり、きらりと抜きつれた。手腕《うで》は互角。厄介な勝負だ。
「やあ!」
「やあ!」
「どこだ。」
「ここだ、ここだ。」
 とにかく、おそろしく念の入った話しだが二人は休んでは斬り合い、斬り合っては休んだものとみえる。一晩じゅう順々に拇指や鼻の先や横っ腹を、かわるがわる落したり削《そ》いだり抉ったりし合ったのち、翌朝人々が二人を発見した時には、甚吾は十郎兵衛の着物の布《きれ》で繃帯してもらって、吃ったまんまの顔、十郎兵衛は十郎兵衛で例の薄笑いを浮かべたままで、二人じつに仲よく死んでいた。
 しかし、勝負はあったのである。
 地上の甚吾の手が刀から離れていたに反し、十郎兵衛の指は五分ほど柄にかかっていたというので、尾張藩の侍たちは嬉々として、またしても安斎十郎兵衛嘉兼のほうへ軍配をあげたものだ。



底本:「一人三人全集 2 時代小説丹下左膳」河出書房新社
   1970(昭和45)年4月15日初版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:奥村正明
校正:小林繁雄
2002年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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